挑発(CHO-HATSU)2



挑          発































1.渋谷Ⅰ/2.渋谷Ⅱ/3.鳥のフン/4.高輪台の月/5.エアコン/6.チャキ・ネック裏/7.第二京浜Ⅰ/8.ゲームセンターⅠ/9.青物横丁Ⅰ/10. 青物横丁Ⅱ/11.青物横丁Ⅲ/12.青物横丁Ⅳ/13. 青物横丁Ⅴ/14.中華街の入り口/15.柳/16〜19.コンビニエンスストア/20.ファミリーマートのトラック/21.書き置き/22.ゲームセンターⅡ/23.第二京浜Ⅱ/24.電気取り付け口/25.ファミリーマートのトラック二台/26.27.六本木ヒルズ(麻布方面から)/28.ハレーション部屋/29.高輪台/30.IKEA港北/31.五反田

残雪な睦月の1DK

「この部屋、たいへん陽当たりがいいんですよ」
と言いながら、嬉々として年配の大家さんは案内してくれるのだけれど、部屋の裏手には一週間前に降った雪がどっさりと残っていた。
「雪・・・残ってますよね」と言ってみても、
「あんなに降ったの久しぶりでしたねー」
と、まったく大家さんのテンションは下がらない。
「この部屋、なかなか住んでくださる方いなくてね、家賃もあと2〜3千円お安くしますからどうかぜひ」
大家さんは大きな声でそう言い、アパートの前で僕が見えなくなるまで見送ってくれた。
 大家さんはとてもいい人だったし、間取りも家賃も望みに適っているのだけれど、いかんせんあの陽当たりでは「リブート」できる気がしない。
 その日は、不動産の男性とたくさんの部屋を見て回った。不動産の男性はたぶん僕より年下で、とても運転が上手だった。後部座席で間取り図や車窓の景色を眺め、なんでだか頭の中では、昔テレビで見た泉谷しげるの「サティスファクション」がずっと流れていた。
 一人暮らしというものをしたことがないから、いまだにその良さとして真っ先に思い浮かぶのが「好きなだけエロビデオが見られる」だし、夢は「友達集めて麦とホップ飲みながら日本代表の試合を見る」ぐらいしか浮かばない。
 ある友人によれば、一人暮らしを始めて最初に寂しいと感じたのが「家に帰って、ゴミ箱の位置が動いていない時」だったらしく、それを聞いて「へえ!」って大きな声で言ったけど、家に帰ってゴミ箱が動いていたら僕はダッシュで実家に帰るだろう。
 両親と同居しているいまの住まいで僕の部屋は圧倒的に寒い。寝る時にタイマー設定して電気ストーブをつけることが多いのだが、部屋の熱気が沈殿して変なトコに溜まるのか、ストーブをつけて寝る夜は、悪夢を見る。相当に酔ってでもいないかぎり、必ず見る。
 悪夢は、僕が「寝ている状態」からはじまるものが多い。「実際と同じ状態」から始まるのがタチの悪いところだ。ただ、寝ている場所はいろいろで、かつて住んでいた家や別の土地だったりする。
 夜中、悪夢を解くようにパッと起きて、自分がどこの寝床にいるのか、わからなくなる。それで壁や机や、暗がりの中で目に映るものをヒントに、「ああ、ここは、家だ」という安堵を得て、目を閉じてもう一度寝る。
 再びの眠りにつこうとする時、かつてここではないどこかで眠った時のことをふと思い出す。
 それは、たとえば子供の頃の夏休み、静岡の祖父母の家で寝た時のことだ。ほとんどひと気のない田舎の夜には、東京とは異なったいろんな音が聞こえるのだった。虫の音、蛙の音、風の音・・・。静ひつさの中では、時折家の前を車が通ると、それが乗用車なのかトラックなのか、その大きさすらも感じ取ることができた。
 目を閉じて、遊び疲れた体はクタクタ、意識もウツロに「音だけ」に身をまかせ、トリップしながら眠る夜が好きだった。
 不動産の男性は移動中の車の中で「どうして部屋を探されてるんですか?」と僕に尋ねた。
「リブートのためです。最近リブートって言葉の意味知って。すごく気に入って。リブートのためです」
 不動産の男性と僕は、そんなことを言うような間柄でもないので嘘の言葉で答えた。
 その日まわった家のうち、最後にまわったのは僕が選んだものというより、僕の条件に応じて不動産の男性が導き出したものだった。
 期待も持たずその部屋に入った。
 不動産の男性が一番奥の窓の遮光板を開けると、向こうからの陽光が照りつけて、床にはげしく反射した。照り付ける陽光はハレーションを起こしていて、デジカメで部屋を撮ろうとしてもうまく写せない。ハレーションとは、カメラマンの敵だ。だけど僕はカメラマンじゃないからハレーションが好きだ。「ハレーション」という題名で歌を作ったこともある。
 窓の際から景色を見れば、JRの線路が建物と建物のあいだから垣間見えた。数分に一度通り過ぎる山手線の音がやかましい。空も広くて、一週間前に雪が降ったことなどなかったかのようだ。
 眠る時や起きる時に聞こえる電車の音を、想像してみる。「がたんごとん」がどうして「がたんごとん」なのか、そんなことを考えながら眠ってもいいかもしれない。「がたんごとん」が聞こえる部屋。それはリブートの部屋だ。目をくらますような陽光が雪解けのベランダに射して、春がくれば名もなき草たちが芽吹くだろう。わくわくするぜ。心拍数があがるぜ。

イボと修理代

 秋から治療している痔の具合はなかなか改善されず、薬代もバカにならないしさすがに滅入る。
 痔の薬以外にも、乾燥する気候によって加速した痒みを抑える薬、さらに禁煙外来で処方されたチャンピックスも相変わらず飲んでいる。
 常用している薬が、ここのところ多くてややこしい。
 どれも死に至らしめる深刻さのない疾患なのが救いだが、「この身体、調子いい」とは言い難い。いろんなところが欠損していて修理している。そんな感じだ。


 元旦に酩酊してデジカメをアスファルトに落とした。友人たちとの写真を「自分撮り」しようとして、手を伸ばしカメラをこちらに向けている時だった。
 筐体から飛び出たレンズはそのままフリーズし、うぃーん、うぃーん、とうなるだけで動かない。電器屋の修理カウンターに持って行ったところ、「この症状」はよくあるそうで、「たぶん18000円ぐらいかかる」のだそうだ。
 修理カウンターの店員は親切心からこう言う。
「18000円もあれば同じシリーズの新しい機種が買えますよ」
 それはなんか違うだろうと、店員のくれた提言にもやもやした違和感を覚えながらも、見積もりをお願いして修理カウンターを後にした僕はデジカメコーナーを物色する。たしかにスペックの高い機種が、予想される修理費よりも安く買えるようだ。
 数日後、修理センターから電話があった。やはり修理費は18000円前後だという。
「検討して折り返します」そう言って電話を切った。
 壊れたデジカメと新しいデジカメが頭の中でうようよしている最近、どういう経緯だか、行ったことのない外国の硬貨が数枚財布に混ざっている。
 その側面は500円玉や10円玉に似ていて、コンビニなどのレジでひっかかることもしばしばだ。
 日本で価値を持たない硬貨はゴミと等しい。むしろ生活にちっぽけな罠を仕掛け、邪魔をする。
 修理費と新品の最新機種が同額であること。外国の硬貨が日本で無意味なこと。そんなことをぼんやり考えながら歩いていると、一瞬お金と、幸福や価値の釣り合いがどうでもよくなって仕事など辞めてしまおうかといった衝動に駆られる。
 ゴミ同然だとわかっていても外国の硬貨は捨てられない。薬局に入り、外国の硬貨をどけて支払いをし、ノズル式の痔治療薬を購入する。
 痔・痒み・禁煙治療など、相変わらず身体の修理は続いているが、年が明けて創作のペースは悪くない。
 「怒り」や「落胆」「恥ずかしさ」などといった出来上がるものの骨子、その起点はすべて「欠落の感覚」だ。修理が必要な体の不具合は、その感覚を忘れさせないでくれる。
 便座に座り、ノズル式のフタをはずして左手の中指で肛門をまさぐる。小さく息を吐いて肛門を開通させながら、フタをはずしたノズルを挿入する。注入薬のふくらんだ部分を中身が完全になくなるまで押しつぶす。身体に入っていった軟膏が、オレの肛門の何に届き、オレをどうやって修理しようとしてくれているのかはわからない。
 ノズルを肛門から抜き出し、フタを戻してトイレットペーパーにくるむ。そして18000円の修理費をだして、壊れたデジカメを取りにいこうと決意する。

炸裂(SAKU-RETSU)1



















SAKU-RETSU!!!!



SAKU-RETSU!!!!!!!!



SAKU-RETSU!!!!!!!!!!!!



1.レーダー/2.東北自動車道/3.すき焼き/4.六本木通りⅠ/5.日和大橋・車窓から/6.エイタくん/7.原宿の月/8.六本木通りⅡ/9.住之江の工業地帯/10.標識/11.カジくんとパツコ/12.滑走路/13.餃子屋/14.六本木通りⅢ/15.着陸/16.丸亀駅/17.黄金町/18.ミエカさん/19.20.21.広島〜羽田間、飛行機の窓から

挑発(CHO-HATSU)1
























1.品川ふ頭/2.エイト/3.日和山公園より臨む石巻沿岸部/4.音楽室Ⅰ/5.新宿京王デパート/6.せんぽ病院窓/7.音楽室Ⅱ/8.入港(品川ふ頭へ)/9.大阪住之江のマクドナルド床/10.音楽室Ⅲ/11.メロン箱/12.中国新聞号外/13.点滴/14.音楽室Ⅳ/15.病室のテレビ/16.12月21日の朝/17.歩行器/18.打ち上げのようこさん/19.皇居周辺のビル・ヨリ/20.名知くんとエイト/21.出航(大阪港から)/22.オカン/23.せんぽ病院廊下

追憶のハイウェイ東北・「ONCE AGAIN」

4/12「ONCE AGAIN」







栗原市のホテルをチェックアウト。余震が集中したこの時期、寝る時間を惜しんで働きまくってくれたホテルのスタッフとも今日でお別れとなる。


■今日も栗原から石巻を目指す。


■相変わらずチンサムロードは多い。
しかし、昨日デコボコだった道が今日は通れるようになっている。昨日裂けていたコンクリに今日は砂利が敷き詰められている。そんなことが毎日ある。
つまりそれは、工事関係者もまた、すさまじい労力を「復興」に捧げている。





■今回利用したレンタカーは、車自体もだいぶ優秀だがナビも相当に優秀だ。それが本当に助かった。刻一刻と変わる交通規制の状況なども反映される。


■だがどれだけナビが優秀でも、あまりに急激な土地の変容には追随できない。
そもそもの地図自体はまだ更新されておらず、石巻沿岸部を走ればナビ上には、ガソリンスタンドやコンビニ、衣料品店など、かつてそこにあった多くの建造物が表示される。
にぎやかなナビから前方に視線を送れば……そこには何もない。


■今回の震災がもたらしたものは、日本の地図すら変えてしまう。それだけのことが現実に起きたのだ。ぼんやりとそんなことを考えていた。


石巻沿岸部に到着。
車を停車し、いくつかの光景をテープに収録していく。
具体的な対象を定めて、それを繰り返していく。
この土地の、「歴史」や「過去」は想像できない。皮肉だろうが、「即物的に」、何もない現在のこの場所を、僕は記録していく。




キミの知らないオレの歴史



オレの知らないキミの景色



繋げるのは このタフなリズムだって信じてまたペンを取る



紙に滲む 黒い衝動が
よそ行きのベベ着た肖像画
なってしまわないうちに音楽に変えよう
灰色(Gray)な鍵盤(Note)に命与えよう



右肩上がりの人生なんてそう続きゃしないさ
オレの背中押す風が 時に頬を殴る つぶれちまえと



オレは生身のままでそれに耐えた



いつか生身のままのキミに逢えた



キミは生身の声で誉め讃えた



オレは生身の声でそいつに応えた



否、応えて行きたいんだ



否、否、答えなどありゃしないんだ



ありがとうMy man
ありがとうMy haters
この足で立ち上がれそうだぜ



さあ、取り戻せそのラフネス



見せつけろそのタフネス



孤独の果てに浮かんだフレーズは
Three times,



twice,



once again!!



Rhymester「ONCE AGAIN」作詞:宇多丸,Mummy-D




■あの日、みんな当たり前に生きていた。
たくさんの死が押し寄せたあの日、誰一人として、誰かを殺そうとなんかしていなかった。
待ちわびた春に想いを馳せるその頃、太平洋のそばで、ただ日常を過ごしていただけだ。
だから、そこにいきなり現れた死について、あなたはあなたの責任を追及すべきではない。
決して、己に中指を立てるべきではない。絶対に、永遠に、3月11日の己に中指を立てるべきではない。
僕があなたに言いたかったのは、たぶん、そんなことだった。



































石巻での用事を終えて、仙台へと向かう。


■立ち寄った石巻のガソリンスタンドは、レジなどの設備が復旧していない。敷地内を店員が全力で走りまくり、客に待たせたことを大声で詫びながら気前のいい接客をかましている。


■ガソリンスタンドからインターチェンジまでの間、車の中でつよい余震を感じる。宮城に来て、いったい何度目だ。


■すぐにコアラから電話。余震があった場合、震度に関わらずこちらの安否を東京に報告せねばならない。
「つーか二人ともぜんぜん無事です!マジムカつきますね地震!!!」
半ばキレ気味で叫ぶと、心配しつつもコアラは笑っている。


■仙台に来れば、町の景観が穏やかに見える。用事があって、新聞社を訪れる。


■一階には3月11日以降の紙面が展示されていた。


■3月12日の朝刊には「死者・不明多数」と見出しに書かれており、夕刊には「死者・不明1100人超」と書かれている(※宮城県に関して)。3月13日、一番大きな見出しは「福島第1 建屋爆発」で、別に「死者・不明1700人超」という見出しがある。
震災から1カ月がたち、宮城県内の死者は8017人となった(※行方不明者含まず)。


石巻にある、手書きで発行しつづけた新聞社が多くのメディアに取り上げられたが、仙台にあるこの新聞社もまた、不屈の精神で穴を空けることなく3月11日以降の朝夕刊を発行しつづけた。


■新聞社での用事を済まし、これで宮城での仕事をすべて終えたことになる。


■駐車場からコアラに電話。


【電話の指示】
・東京までの帰路とにかく急ぐな・疲れたら即座に休憩・眠けりゃ仮眠・運転手の判断でいい・助手席は可能な限りサポートしろ・東京への到着は何時になってもいい・必要と自覚する以上の休息をとれ・焦るな・落ち着いて戻れ・サービスエリアごとに運転手を交替しろ・県境ごとにメールをくれ


■まるで校長先生(または自動車学校の教官)がくれるような、ものすごく真っ当な指示が飛ぶ。


■ところでコアラ作成のBGMにも、いい加減飽きた。仙台駅前のLABIに立ち寄り、iPodを車内でラジオ電波に飛ばせる機材を購入。僕と狼、運転するごとにそれぞれのiPodを聞いて帰ることにする。これから東京までの運転、音楽の果たす役割は大きい。


■僕のiPodをラジオに飛ばした一曲目、おととし亡くなった‘ドカドカうるさいロックンローラー’の声が車内に響く。
忌野清志郎「JUMP」>

「なぜ悲しいニュースばかりテレビは言い続ける」。
それは忘れさせないためだ。そしてこの日記は、忘れないためだ。


■宮城に来てからずっと、もし時間があれば去年の9月に僕が訪れた仙台の小売店に挨拶に行きたいと考えていた。


■昨日、狼には言ったのだが、これほどまでに疲れている以上、このまま高速に乗って東京方面を目指したほうがいいような気もする。しかし、震災後ここに来た「縁」というものを考えれば、なにがなんでも訪れるべき場所だとも思う。


■迷っている矢先、携帯が鳴った。カメラマンのNさんだ。全身に鳥肌が立つ。


■「いま築地にいるんだけど、これから行っていい?」
滅多に電話することもされることもないNさんが、そんな用事で電話をくれた。
Nさんとは、去年の9月、僕と一緒に仙台の小売店に行ったその人だ。


■いまいる場所をNさんに言うとその符号に当然向こうも驚いている。
その電話が啓示に思えてならず、電話を切って即座に「あの小売店」を目指した。


■これだけではない。滞在期間中、ちょっと理屈では解明しようのない「不思議なこと」がいくつか起きた。


■4月11日夕方、Aさんを車で待っている折、僕は自分のiPodからイヤホンを抜いて再生させながら助手席で仮眠をとっていた。23日に控えているバンドの余興のためフジファブリックの『若者のすべて』を聞いていた。
1番のBメロのところで運転席の狼が「あ」と言う。僕もそこを聞いた瞬間、すさまじいざわめきを感じたのだ。
その再生時、志村正彦の歌う「夕方5時のチャイムが」というフレーズが、登米市に流れる夕方5時のチャイムと見事に重なった。
フジファブリック若者のすべて』>


■9月に訪れた小売店は節電のためか少し暗い印象。向かいの洋食屋さんでシチューを食べ、いざ東京を目指す。



■これからもここで暮らし続ける人たちは無数にいる。
その人たちと別れて、僕たちはこれから家に帰る。
身も心もくたくただ。とても350キロの道のりを越えられる自信はない。
それでも帰る。
Bさんの言葉を借りれば「そこに家があっからよ」。


僕たちは、帰らなくてはならない。



神聖かまってちゃん「ロックンロールは鳴りやまないっ」>

結局、この滞在中、もっともよく聞いた曲はこれだった。(コアラ作成CD1枚目の1曲目だったため)





























爆音でそれぞれのiPodをかわるがわる流しながら、とにかく東京を目指した。































ガム、コーヒー、ヤニ、ハリボー、ガム、ヤニ、途中レモン牛乳ハリボー、ヤニ・・・




















追憶のハイウェイ東北。それは、チンサムロードだらけの「救援の道」。
救援など何もできず、余震におびえ、目の前の光景に途方に暮れた。
この道が東京につながっているのか。それすらも疑わしい。










































最後にもう一つ、不思議なことが起きた。
川口本線料金所、それは東北自動車道の終わり、そこでデジカメの電池が切れた。



◇◇◇


 【追憶のハイウェイ東北】と題された記事は、震災からおよそ一カ月後、仕事の用事で訪れた宮城県滞在時の日記です。
 あくまで第一に自分自身の「備忘録」として、主観や個人的な感想、あるいは想像を主軸に記述していきます。
 いくらかパブリック(とされる)なデータも引用しましたが、そうした材料の裏取りも絶対保証されたものではありません。滞在中に訪れた場所も、ごくごく限られた地域です。
 万一、無為に僕の日記をご覧になって不快感や不安感を覚えた場合は、記事をお読みにならぬようお願いします。


 【追憶のハイウェイ東北】と題された記事は、一旦ここで終わります。
 しかし東京に戻って一ヶ月後、再び僕は、東北・宮城を訪れることになりました。

追憶のハイウェイ東北・「時代は変る」

4/11「時代は変る」


■2004年3月26日。『ニュースステーション』の最終回で、久米宏は自分が「民間放送(民放)を愛している」と述べ、その理由を「国民を戦争にミスリードしたことが一度もないから」としている。


■日本の民間放送は戦後から始まった。つまり日本の民放がリアルタイムで自国の戦争を放送・報道したことはない。


■2011年3月13日。菅直人首相は記者会見で、今回の地震について「戦後65年経過した中で最も厳しい危機」と表現したが、それは同時に、民放が未体験ゾーンに突入したことも意味する。





■(もうこういう主語を使ってしまうが)僕たち日本人は、戦後65年間、「戦争をしないこと」を選び続けた。それは「理不尽」かつ「唐突」な暴力によるけが人や死者を自国からださないために貫通されてきた意志であり、選択であったはずだ。


■外国に媚びを売りながら、日和ながら、アイマイで脆弱であろうとも、そのスジは通してきたはずだ。


■だが2011年3月11日、「理不尽で唐突な暴力」が、天災という形で東北と関東を襲った。地震によって建物が倒壊し、津波が沿岸部の町の営みをぶち壊して、原子力発電所は爆発した。


■震災からほぼ一カ月が経った南三陸石巻東松島の光景は、「焼け野原」に似ている。僕が目にした「焼け野原」のような光景は、ほとんど「水」によって為されたものだ。だがその光景は、(おもに)爆弾という「火」によって為された、戦中・戦後の写真にある「焼け野原」ときわめてよく似ている。


津波被害を負った地域を目にすれば、おそらく多くの人間は「焼け野原」を思いだす。歴史の教科書に載っていた、あの凄惨な写真を。


■これは狼の言だが、教科書には原子爆弾が投下された直後の広島の写真と現在の写真とが並べられている。その経過の詳細に言及される余地は、ほとんどない。「戦後、復興を遂げた」という一語で、ダイナミックに編纂されている。


■1945年9月6日。原爆が投下されて一カ月後の広島を訪れて取材をした東京の記者もきっといた。東京で報道にふれて、事の大きさを察知していたものの、実際に自分の目で見て、身体が痺れるような焦燥に駆られた記者が、きっといた。


■しかし、その記録を、いまつぶさに見ることは難しい。原爆が投下されてから現在に至るまで、そこには無限の苦悶があった。慟哭があった。徒労があった。労働があった。ふれあいがあった。誰かと誰かが励まし合った。


■3月11日から、やがて訪れる平和な「現在」まで、流れる時間はこれからすべてすっ飛ばされて語られていく。平和とは、たぶんそうやって忘れながら形成されていく。





■昨日訪れた日和山公園を再び訪れる。震災から一カ月目の今日、石巻市の沿岸部がほぼ一望できる高台には多くのマスコミがカメラを構えて午後2時46分を待っている。


■昼食を食べに日和山公園の売店に入る。
狼がテレビ局に勤務する大学時代の先輩から、ここの焼きそばが美味いと聞いたらしい。


■店には臨時メニューとして黄色い模造紙が貼られている。
「いまはこれしか出せないんですよ、ごめんなさいね」
心苦しいような笑顔で店のおばあちゃんは言うが、こちらは臨時メニューの充実ぶりに驚いた。公園から一望できる景観の異常性と、「焼きそば」「ラーメン」「うどん」という「ニッポン人の嗜好ど真ん中メニュー」が、隣り合わせにあることの違和感。そんなものを感じた。


■店のテレビではNHKが流れている。震災から一カ月後の今日は、東北地方の各地の様子を中継で伝えている。
南三陸町の避難所に暮らす高齢の女性は、「だんだんとマスコミなどがいなくなってこのまま忘れられていくのが恐い」と答えたそうだ。


日和山公園から勾配のきつい坂をくだり、石巻市山下のあたりへ。


■午後2時46分、震災から丸一カ月。数分前より空が翳り若干の雨。市内にアナウンスが流れ、黙祷。手を合わせ拝む人、目を瞑り下を向く人、空を見つめる人、買い物をつづける人、接客をつづける人、自転車をこぐ人、車を発進させる人。


■最大余震があって以来、この界隈は再び水道が止まった状態が続いている。人々は、現在進行形の災害を生きている。



【無念の春、復興誓う 震災1カ月、宮城の死者8017人】

 東日本大震災は11日、発生から1カ月を迎えた。宮城県の死者は県警の午前のまとめで8017人となり8000人を超えた。全国の死者、行方不明者は計2万7493人に上り、不明者の捜索活動は依然難航している。津波で大きな被害を受けた宮城県の県庁では午前10時、庁内放送に合わせて全職員が1分間黙とうした。

 県災害対策本部の会議では、冒頭に村井嘉浩知事ら幹部職員が犠牲者の冥福を祈った。
 村井知事は会議後の記者会見で「多くの人命を奪った震災から1カ月が経過した。7日の余震もあったが、ここが踏ん張りどころだ。くじけず、手を携えて復興に向かいたい。多方面からの支援に応えるためにも、震災から立ち直ることがわれわれの使命だ」と述べた。
 警察庁の11日午前10時のまとめでは、死者は12都道県で1万3116人、行方不明者は6県で1万4377人となった。宮城県内の仙台市東松島市南三陸町については依然、不明者の集計ができていない。
 被害の大きい東北3県の死者は、8000人を超えた宮城のほか、岩手3811人、福島1226人。不明者は宮城6416人、岩手4721人、福島3236人となった。死者数には7日深夜に発生した余震による犠牲者も含まれる。
 避難者もなお多く、宮城県内では約470カ所の避難所に約5万3000人が身を寄せている。全国では北海道から静岡までの18都道県に設置された約2300カ所に約14万7000人が避難している。


河北新報、4月11日)


■僕たちは明日東京に帰る。この情況の渦中、こちらの用件にとことん尽力してくれたAさんに挨拶をするため登米市へ。


■夕方、到着したもののAさんはまだ来ないとのことなので、車内で仮眠。やっと眠りに落ちるかという間際、またしてもはげしい揺れを感じ、即座に車を降りる。小雨の中、電線がぶらんぶらんと揺れている。


■宮城を訪れて6日目。農業者・漁業者、そして生活者が、巨大な自然を「生ける者」と見なし、崇めたり畏れたりしてきたように、僕も地震という得体の知れない大バカ野郎を人称化して見なすクセがついてしまった。


地震とは、とかく空気の読めない大アホいかれポンチである。こんなヤツ、生涯、誰にも相手にされず無縁社会の中で気づかれないうちに消滅してしまえばいい。しかし日本に住んでいる以上、僕らはこの大アホいかれポンチの気分に振りまわされながら暮らし続けていかねばならない。


■日本全国のあらゆる不動産が、広告の上でその物件の立地の良さを謳うが、日本という国土のうち、かなりの部分がそもそも「住むのに向かぬ場所」だったのだ。


■あの日、大地は、海は、自然を崇め畏れてきた人間の日常に、理不尽・唐突・膨大・不遜な死を流し込んだ。
それでもなお、被災地と呼ばれるここで暮らしている人たちは、誰も気丈に見える。悲壮さは、見えない。
それぞれの境遇をおもんばかりながら、働ける者が働けない者に笑顔や励ましの言葉を送り、今までの人生を集成させた哲学をもって、みんな上を向いて生きている。


■今回の滞在でどうしてもわからなかったことが二つある。一つは「水の脅威」。もう一つは「人間のたくましさ」だ。





■やがて待っていた場所へAさんが到着し、お別れの挨拶。


【挨拶の際にうかがったこと】
・クレーマーの話・たとえばモンスターペアレンツの話・いつの間にか日本人の価値観は変な方向に傾いた・川上にあるべき者と川下にいたはずの者が歪つに反転した・だが震災後の今は違う・食い物を残す人間はいない・無駄な贅沢を見せびらかす人間はいない・大きい車を乗り回す人間はいない・我々は時代にいくつかの「線」をひいてきた・「明治維新」「敗戦」・そんな太い線が引かれる・きっと時代はこれから良くなる・もしかしたら明日もっとひどいことが起きるかもしれない・だけどきっと時代は良くなる・そう願う・そう信じる・そうでなければ亡くなった数万人の命が浮かばれない・時代は変わる・時代はこれからきっと良くなる...
...
...
きっと時代は変わる。
Bob Dylan:The Times They Are A-Changin'>


彼方を歩む人よ
こっちへ来いよ
あたりの水かさがこんなに
膨らんでるだろう
受け容れるんだよもうすぐ
ずぶ濡れだってことを
持ち時間に惜しむだけの価値があるなら
さっさと泳がなきゃ石ころみたく沈んでくだけ
だって時代が変わろうとしてるんだから


ペンを持って予言する
物書きや批評家さん
ここ一番のチャンスに
大きく目を開いて
ルーレットが回ってるうちは
慌てて喋るんじゃない
誰の名前が示されることになるやら
今の敗者がやがては勝つ
だって時代が変わろうとしてるんだから


政治家さん、今度くらいは
話を聞いてくれ
戸口や廊下に突っ立って
邪魔しないでくれよ
もし足留めを食ったら
痛い目に遭うんだ
外で起きてる闘いはさらに激しくなって
あんたのいる部屋の窓や壁もいまにガタガタ揺れる
だって時代が変わろうとしてるんだから


国じゅうの人の親たちよ
来てみたらわかるさ
理解できないものを
批判するのはやめなよ
あなたの息子や娘たちに
指図はもう届かない
以前の道が急に古びてくなか
手を貸せないんだったら新しい道は譲ってくれ
だって時代が変わろうとしてるんだから


境界線が引かれ
呪文がかけられて
今は遅れている者も
やがて速度を増す
だってここにある現在は
やがて過去になるから
秩序はどんどん霞んでいって
先頭の者もやがて最後尾に落ちる
だって時代が変わろうとしてるんだから


(translated by K. Miyata)


■掃いて捨てるほどの一期一会がつきまとうのが僕の仕事だ。馴れることはない。今回は格段、Aさんとの別れがつらい。


栗原市のホテルに到着。
初日の取材を終えたマサコが、どす黒い疲れ切った声で電話を寄越してきた。女川町の漁師に話を聞いたところ「自分の船を海の神様にあげた」と答えたという。


■わからない。



■わからない。



■わからない。



■このホテルで眠るのも今日が最後だ。