追憶のハイウェイ東北・「時代は変る」

4/11「時代は変る」


■2004年3月26日。『ニュースステーション』の最終回で、久米宏は自分が「民間放送(民放)を愛している」と述べ、その理由を「国民を戦争にミスリードしたことが一度もないから」としている。


■日本の民間放送は戦後から始まった。つまり日本の民放がリアルタイムで自国の戦争を放送・報道したことはない。


■2011年3月13日。菅直人首相は記者会見で、今回の地震について「戦後65年経過した中で最も厳しい危機」と表現したが、それは同時に、民放が未体験ゾーンに突入したことも意味する。





■(もうこういう主語を使ってしまうが)僕たち日本人は、戦後65年間、「戦争をしないこと」を選び続けた。それは「理不尽」かつ「唐突」な暴力によるけが人や死者を自国からださないために貫通されてきた意志であり、選択であったはずだ。


■外国に媚びを売りながら、日和ながら、アイマイで脆弱であろうとも、そのスジは通してきたはずだ。


■だが2011年3月11日、「理不尽で唐突な暴力」が、天災という形で東北と関東を襲った。地震によって建物が倒壊し、津波が沿岸部の町の営みをぶち壊して、原子力発電所は爆発した。


■震災からほぼ一カ月が経った南三陸石巻東松島の光景は、「焼け野原」に似ている。僕が目にした「焼け野原」のような光景は、ほとんど「水」によって為されたものだ。だがその光景は、(おもに)爆弾という「火」によって為された、戦中・戦後の写真にある「焼け野原」ときわめてよく似ている。


津波被害を負った地域を目にすれば、おそらく多くの人間は「焼け野原」を思いだす。歴史の教科書に載っていた、あの凄惨な写真を。


■これは狼の言だが、教科書には原子爆弾が投下された直後の広島の写真と現在の写真とが並べられている。その経過の詳細に言及される余地は、ほとんどない。「戦後、復興を遂げた」という一語で、ダイナミックに編纂されている。


■1945年9月6日。原爆が投下されて一カ月後の広島を訪れて取材をした東京の記者もきっといた。東京で報道にふれて、事の大きさを察知していたものの、実際に自分の目で見て、身体が痺れるような焦燥に駆られた記者が、きっといた。


■しかし、その記録を、いまつぶさに見ることは難しい。原爆が投下されてから現在に至るまで、そこには無限の苦悶があった。慟哭があった。徒労があった。労働があった。ふれあいがあった。誰かと誰かが励まし合った。


■3月11日から、やがて訪れる平和な「現在」まで、流れる時間はこれからすべてすっ飛ばされて語られていく。平和とは、たぶんそうやって忘れながら形成されていく。





■昨日訪れた日和山公園を再び訪れる。震災から一カ月目の今日、石巻市の沿岸部がほぼ一望できる高台には多くのマスコミがカメラを構えて午後2時46分を待っている。


■昼食を食べに日和山公園の売店に入る。
狼がテレビ局に勤務する大学時代の先輩から、ここの焼きそばが美味いと聞いたらしい。


■店には臨時メニューとして黄色い模造紙が貼られている。
「いまはこれしか出せないんですよ、ごめんなさいね」
心苦しいような笑顔で店のおばあちゃんは言うが、こちらは臨時メニューの充実ぶりに驚いた。公園から一望できる景観の異常性と、「焼きそば」「ラーメン」「うどん」という「ニッポン人の嗜好ど真ん中メニュー」が、隣り合わせにあることの違和感。そんなものを感じた。


■店のテレビではNHKが流れている。震災から一カ月後の今日は、東北地方の各地の様子を中継で伝えている。
南三陸町の避難所に暮らす高齢の女性は、「だんだんとマスコミなどがいなくなってこのまま忘れられていくのが恐い」と答えたそうだ。


日和山公園から勾配のきつい坂をくだり、石巻市山下のあたりへ。


■午後2時46分、震災から丸一カ月。数分前より空が翳り若干の雨。市内にアナウンスが流れ、黙祷。手を合わせ拝む人、目を瞑り下を向く人、空を見つめる人、買い物をつづける人、接客をつづける人、自転車をこぐ人、車を発進させる人。


■最大余震があって以来、この界隈は再び水道が止まった状態が続いている。人々は、現在進行形の災害を生きている。



【無念の春、復興誓う 震災1カ月、宮城の死者8017人】

 東日本大震災は11日、発生から1カ月を迎えた。宮城県の死者は県警の午前のまとめで8017人となり8000人を超えた。全国の死者、行方不明者は計2万7493人に上り、不明者の捜索活動は依然難航している。津波で大きな被害を受けた宮城県の県庁では午前10時、庁内放送に合わせて全職員が1分間黙とうした。

 県災害対策本部の会議では、冒頭に村井嘉浩知事ら幹部職員が犠牲者の冥福を祈った。
 村井知事は会議後の記者会見で「多くの人命を奪った震災から1カ月が経過した。7日の余震もあったが、ここが踏ん張りどころだ。くじけず、手を携えて復興に向かいたい。多方面からの支援に応えるためにも、震災から立ち直ることがわれわれの使命だ」と述べた。
 警察庁の11日午前10時のまとめでは、死者は12都道県で1万3116人、行方不明者は6県で1万4377人となった。宮城県内の仙台市東松島市南三陸町については依然、不明者の集計ができていない。
 被害の大きい東北3県の死者は、8000人を超えた宮城のほか、岩手3811人、福島1226人。不明者は宮城6416人、岩手4721人、福島3236人となった。死者数には7日深夜に発生した余震による犠牲者も含まれる。
 避難者もなお多く、宮城県内では約470カ所の避難所に約5万3000人が身を寄せている。全国では北海道から静岡までの18都道県に設置された約2300カ所に約14万7000人が避難している。


河北新報、4月11日)


■僕たちは明日東京に帰る。この情況の渦中、こちらの用件にとことん尽力してくれたAさんに挨拶をするため登米市へ。


■夕方、到着したもののAさんはまだ来ないとのことなので、車内で仮眠。やっと眠りに落ちるかという間際、またしてもはげしい揺れを感じ、即座に車を降りる。小雨の中、電線がぶらんぶらんと揺れている。


■宮城を訪れて6日目。農業者・漁業者、そして生活者が、巨大な自然を「生ける者」と見なし、崇めたり畏れたりしてきたように、僕も地震という得体の知れない大バカ野郎を人称化して見なすクセがついてしまった。


地震とは、とかく空気の読めない大アホいかれポンチである。こんなヤツ、生涯、誰にも相手にされず無縁社会の中で気づかれないうちに消滅してしまえばいい。しかし日本に住んでいる以上、僕らはこの大アホいかれポンチの気分に振りまわされながら暮らし続けていかねばならない。


■日本全国のあらゆる不動産が、広告の上でその物件の立地の良さを謳うが、日本という国土のうち、かなりの部分がそもそも「住むのに向かぬ場所」だったのだ。


■あの日、大地は、海は、自然を崇め畏れてきた人間の日常に、理不尽・唐突・膨大・不遜な死を流し込んだ。
それでもなお、被災地と呼ばれるここで暮らしている人たちは、誰も気丈に見える。悲壮さは、見えない。
それぞれの境遇をおもんばかりながら、働ける者が働けない者に笑顔や励ましの言葉を送り、今までの人生を集成させた哲学をもって、みんな上を向いて生きている。


■今回の滞在でどうしてもわからなかったことが二つある。一つは「水の脅威」。もう一つは「人間のたくましさ」だ。





■やがて待っていた場所へAさんが到着し、お別れの挨拶。


【挨拶の際にうかがったこと】
・クレーマーの話・たとえばモンスターペアレンツの話・いつの間にか日本人の価値観は変な方向に傾いた・川上にあるべき者と川下にいたはずの者が歪つに反転した・だが震災後の今は違う・食い物を残す人間はいない・無駄な贅沢を見せびらかす人間はいない・大きい車を乗り回す人間はいない・我々は時代にいくつかの「線」をひいてきた・「明治維新」「敗戦」・そんな太い線が引かれる・きっと時代はこれから良くなる・もしかしたら明日もっとひどいことが起きるかもしれない・だけどきっと時代は良くなる・そう願う・そう信じる・そうでなければ亡くなった数万人の命が浮かばれない・時代は変わる・時代はこれからきっと良くなる...
...
...
きっと時代は変わる。
Bob Dylan:The Times They Are A-Changin'>


彼方を歩む人よ
こっちへ来いよ
あたりの水かさがこんなに
膨らんでるだろう
受け容れるんだよもうすぐ
ずぶ濡れだってことを
持ち時間に惜しむだけの価値があるなら
さっさと泳がなきゃ石ころみたく沈んでくだけ
だって時代が変わろうとしてるんだから


ペンを持って予言する
物書きや批評家さん
ここ一番のチャンスに
大きく目を開いて
ルーレットが回ってるうちは
慌てて喋るんじゃない
誰の名前が示されることになるやら
今の敗者がやがては勝つ
だって時代が変わろうとしてるんだから


政治家さん、今度くらいは
話を聞いてくれ
戸口や廊下に突っ立って
邪魔しないでくれよ
もし足留めを食ったら
痛い目に遭うんだ
外で起きてる闘いはさらに激しくなって
あんたのいる部屋の窓や壁もいまにガタガタ揺れる
だって時代が変わろうとしてるんだから


国じゅうの人の親たちよ
来てみたらわかるさ
理解できないものを
批判するのはやめなよ
あなたの息子や娘たちに
指図はもう届かない
以前の道が急に古びてくなか
手を貸せないんだったら新しい道は譲ってくれ
だって時代が変わろうとしてるんだから


境界線が引かれ
呪文がかけられて
今は遅れている者も
やがて速度を増す
だってここにある現在は
やがて過去になるから
秩序はどんどん霞んでいって
先頭の者もやがて最後尾に落ちる
だって時代が変わろうとしてるんだから


(translated by K. Miyata)


■掃いて捨てるほどの一期一会がつきまとうのが僕の仕事だ。馴れることはない。今回は格段、Aさんとの別れがつらい。


栗原市のホテルに到着。
初日の取材を終えたマサコが、どす黒い疲れ切った声で電話を寄越してきた。女川町の漁師に話を聞いたところ「自分の船を海の神様にあげた」と答えたという。


■わからない。



■わからない。



■わからない。



■このホテルで眠るのも今日が最後だ。