追憶のハイウェイ東北・「ONCE AGAIN」

4/12「ONCE AGAIN」







栗原市のホテルをチェックアウト。余震が集中したこの時期、寝る時間を惜しんで働きまくってくれたホテルのスタッフとも今日でお別れとなる。


■今日も栗原から石巻を目指す。


■相変わらずチンサムロードは多い。
しかし、昨日デコボコだった道が今日は通れるようになっている。昨日裂けていたコンクリに今日は砂利が敷き詰められている。そんなことが毎日ある。
つまりそれは、工事関係者もまた、すさまじい労力を「復興」に捧げている。





■今回利用したレンタカーは、車自体もだいぶ優秀だがナビも相当に優秀だ。それが本当に助かった。刻一刻と変わる交通規制の状況なども反映される。


■だがどれだけナビが優秀でも、あまりに急激な土地の変容には追随できない。
そもそもの地図自体はまだ更新されておらず、石巻沿岸部を走ればナビ上には、ガソリンスタンドやコンビニ、衣料品店など、かつてそこにあった多くの建造物が表示される。
にぎやかなナビから前方に視線を送れば……そこには何もない。


■今回の震災がもたらしたものは、日本の地図すら変えてしまう。それだけのことが現実に起きたのだ。ぼんやりとそんなことを考えていた。


石巻沿岸部に到着。
車を停車し、いくつかの光景をテープに収録していく。
具体的な対象を定めて、それを繰り返していく。
この土地の、「歴史」や「過去」は想像できない。皮肉だろうが、「即物的に」、何もない現在のこの場所を、僕は記録していく。




キミの知らないオレの歴史



オレの知らないキミの景色



繋げるのは このタフなリズムだって信じてまたペンを取る



紙に滲む 黒い衝動が
よそ行きのベベ着た肖像画
なってしまわないうちに音楽に変えよう
灰色(Gray)な鍵盤(Note)に命与えよう



右肩上がりの人生なんてそう続きゃしないさ
オレの背中押す風が 時に頬を殴る つぶれちまえと



オレは生身のままでそれに耐えた



いつか生身のままのキミに逢えた



キミは生身の声で誉め讃えた



オレは生身の声でそいつに応えた



否、応えて行きたいんだ



否、否、答えなどありゃしないんだ



ありがとうMy man
ありがとうMy haters
この足で立ち上がれそうだぜ



さあ、取り戻せそのラフネス



見せつけろそのタフネス



孤独の果てに浮かんだフレーズは
Three times,



twice,



once again!!



Rhymester「ONCE AGAIN」作詞:宇多丸,Mummy-D




■あの日、みんな当たり前に生きていた。
たくさんの死が押し寄せたあの日、誰一人として、誰かを殺そうとなんかしていなかった。
待ちわびた春に想いを馳せるその頃、太平洋のそばで、ただ日常を過ごしていただけだ。
だから、そこにいきなり現れた死について、あなたはあなたの責任を追及すべきではない。
決して、己に中指を立てるべきではない。絶対に、永遠に、3月11日の己に中指を立てるべきではない。
僕があなたに言いたかったのは、たぶん、そんなことだった。



































石巻での用事を終えて、仙台へと向かう。


■立ち寄った石巻のガソリンスタンドは、レジなどの設備が復旧していない。敷地内を店員が全力で走りまくり、客に待たせたことを大声で詫びながら気前のいい接客をかましている。


■ガソリンスタンドからインターチェンジまでの間、車の中でつよい余震を感じる。宮城に来て、いったい何度目だ。


■すぐにコアラから電話。余震があった場合、震度に関わらずこちらの安否を東京に報告せねばならない。
「つーか二人ともぜんぜん無事です!マジムカつきますね地震!!!」
半ばキレ気味で叫ぶと、心配しつつもコアラは笑っている。


■仙台に来れば、町の景観が穏やかに見える。用事があって、新聞社を訪れる。


■一階には3月11日以降の紙面が展示されていた。


■3月12日の朝刊には「死者・不明多数」と見出しに書かれており、夕刊には「死者・不明1100人超」と書かれている(※宮城県に関して)。3月13日、一番大きな見出しは「福島第1 建屋爆発」で、別に「死者・不明1700人超」という見出しがある。
震災から1カ月がたち、宮城県内の死者は8017人となった(※行方不明者含まず)。


石巻にある、手書きで発行しつづけた新聞社が多くのメディアに取り上げられたが、仙台にあるこの新聞社もまた、不屈の精神で穴を空けることなく3月11日以降の朝夕刊を発行しつづけた。


■新聞社での用事を済まし、これで宮城での仕事をすべて終えたことになる。


■駐車場からコアラに電話。


【電話の指示】
・東京までの帰路とにかく急ぐな・疲れたら即座に休憩・眠けりゃ仮眠・運転手の判断でいい・助手席は可能な限りサポートしろ・東京への到着は何時になってもいい・必要と自覚する以上の休息をとれ・焦るな・落ち着いて戻れ・サービスエリアごとに運転手を交替しろ・県境ごとにメールをくれ


■まるで校長先生(または自動車学校の教官)がくれるような、ものすごく真っ当な指示が飛ぶ。


■ところでコアラ作成のBGMにも、いい加減飽きた。仙台駅前のLABIに立ち寄り、iPodを車内でラジオ電波に飛ばせる機材を購入。僕と狼、運転するごとにそれぞれのiPodを聞いて帰ることにする。これから東京までの運転、音楽の果たす役割は大きい。


■僕のiPodをラジオに飛ばした一曲目、おととし亡くなった‘ドカドカうるさいロックンローラー’の声が車内に響く。
忌野清志郎「JUMP」>

「なぜ悲しいニュースばかりテレビは言い続ける」。
それは忘れさせないためだ。そしてこの日記は、忘れないためだ。


■宮城に来てからずっと、もし時間があれば去年の9月に僕が訪れた仙台の小売店に挨拶に行きたいと考えていた。


■昨日、狼には言ったのだが、これほどまでに疲れている以上、このまま高速に乗って東京方面を目指したほうがいいような気もする。しかし、震災後ここに来た「縁」というものを考えれば、なにがなんでも訪れるべき場所だとも思う。


■迷っている矢先、携帯が鳴った。カメラマンのNさんだ。全身に鳥肌が立つ。


■「いま築地にいるんだけど、これから行っていい?」
滅多に電話することもされることもないNさんが、そんな用事で電話をくれた。
Nさんとは、去年の9月、僕と一緒に仙台の小売店に行ったその人だ。


■いまいる場所をNさんに言うとその符号に当然向こうも驚いている。
その電話が啓示に思えてならず、電話を切って即座に「あの小売店」を目指した。


■これだけではない。滞在期間中、ちょっと理屈では解明しようのない「不思議なこと」がいくつか起きた。


■4月11日夕方、Aさんを車で待っている折、僕は自分のiPodからイヤホンを抜いて再生させながら助手席で仮眠をとっていた。23日に控えているバンドの余興のためフジファブリックの『若者のすべて』を聞いていた。
1番のBメロのところで運転席の狼が「あ」と言う。僕もそこを聞いた瞬間、すさまじいざわめきを感じたのだ。
その再生時、志村正彦の歌う「夕方5時のチャイムが」というフレーズが、登米市に流れる夕方5時のチャイムと見事に重なった。
フジファブリック若者のすべて』>


■9月に訪れた小売店は節電のためか少し暗い印象。向かいの洋食屋さんでシチューを食べ、いざ東京を目指す。



■これからもここで暮らし続ける人たちは無数にいる。
その人たちと別れて、僕たちはこれから家に帰る。
身も心もくたくただ。とても350キロの道のりを越えられる自信はない。
それでも帰る。
Bさんの言葉を借りれば「そこに家があっからよ」。


僕たちは、帰らなくてはならない。



神聖かまってちゃん「ロックンロールは鳴りやまないっ」>

結局、この滞在中、もっともよく聞いた曲はこれだった。(コアラ作成CD1枚目の1曲目だったため)





























爆音でそれぞれのiPodをかわるがわる流しながら、とにかく東京を目指した。































ガム、コーヒー、ヤニ、ハリボー、ガム、ヤニ、途中レモン牛乳ハリボー、ヤニ・・・




















追憶のハイウェイ東北。それは、チンサムロードだらけの「救援の道」。
救援など何もできず、余震におびえ、目の前の光景に途方に暮れた。
この道が東京につながっているのか。それすらも疑わしい。










































最後にもう一つ、不思議なことが起きた。
川口本線料金所、それは東北自動車道の終わり、そこでデジカメの電池が切れた。



◇◇◇


 【追憶のハイウェイ東北】と題された記事は、震災からおよそ一カ月後、仕事の用事で訪れた宮城県滞在時の日記です。
 あくまで第一に自分自身の「備忘録」として、主観や個人的な感想、あるいは想像を主軸に記述していきます。
 いくらかパブリック(とされる)なデータも引用しましたが、そうした材料の裏取りも絶対保証されたものではありません。滞在中に訪れた場所も、ごくごく限られた地域です。
 万一、無為に僕の日記をご覧になって不快感や不安感を覚えた場合は、記事をお読みにならぬようお願いします。


 【追憶のハイウェイ東北】と題された記事は、一旦ここで終わります。
 しかし東京に戻って一ヶ月後、再び僕は、東北・宮城を訪れることになりました。