追憶のハイウェイ東北・「夢の中」

4/10「夢の中」



マツダ・プレマシー、2000cc

田町のマツダレンタカーで借りて

目黒のファミマでおにぎりや飲み物を買って

「悲しみの果て」に来た。



【余震、死者3人に 東北けが283人】
 宮城県震度6強を観測した東日本大震災の余震で、9日新たに仙台市内の80代女性が死亡していたことが分かり、死者は計3人となった。負傷者も増え、宮城県や各県警などによると東北6県で283人。停電は本震による影響を含め岩手、宮城、福島3県の計約22万戸に上り、交通機関の乱れも依然続いている。
 仙台市によると、8日朝に頭を強く打って市立病院に運ばれた女性(84)が死亡した。7日深夜の余震で倒れた家具の間に挟まれたといい、市立病院は地震による死亡と考えられるとしている。
 宮城県によると、県内の建物被害は全壊25棟を含む176棟。塩釜市など4市町で新たに避難所を開設した。
 東北全域で一時400万戸に達した停電は、宮城、岩手両県を除き復旧が進んだ。午後4時現在の停電戸数は宮城約14万7000戸、岩手約4万6000戸で、うち余震の影響は約7万戸という。(...)


河北新報、4月10日)


■まだここに来て5日目だ。なのにだいぶ疲れてしまった。だけどなんでここに暮らす人たちはこんなに気丈なんだろう。初日に感じたその疑問符は、解決できないまま日ごとに巨大さを増していって一切の感情を覆うように頭の中を「?」で埋め尽くす。


■ゆうべ僕はマサコに「俺が彼氏だったら足折ってでも行かせねえ!」と意気んで言った。そんなことをすでに「来てしまった」自分が言っていいのか。マサコに比べ、僕たちの準備や人員が多少万全だったとしても絶対安全の保証なんてあるのだろうか。そんな焦燥感を感じつつもここで暮らしている多くの人がいるのだからよそ者が先に滅入ってはいけない。目的地に着き、昨日コアラが言った通り、とりあえずナビにホテルを打ちこむ。


■狼が「トイレに行って来ていいですか」と聞く。行って来いと言ったら車を出ていく。トイレへ向かう狼の背中を見ながら、昨日コアラに厳命された言葉を思い出す。仕方が無いからシャッターを切った。









■最初の場所で用事を終え、石巻漁港を目指す。





■そこに何があったのかを知らない。しかしその光景を見れば、培ってきた歴史と生きている現在の営みが片っ端から「破壊されつくした」ことが見てとれる。








■宮城についた翌日、さっそく南三陸町を訪れ被災した光景を目の当たりにし、とにかくどんな小さいことでもいいから、具体的な目的をもって行動をしないと危険であると察知した。
見た目ではっきりとわかる被災地域を無目的に歩くこと、3月11日より前、あるいは3月11日にそこで巻き起こったことを無闇に想像してしまうことは個人の精神にとって非常に危険である。
震災後、ラジオなどからしきりにジョン・レノンの『イマジン』を聞く機会が増えたが、現地における鉄則は「ネバー・イマジン」だと感じた。
たしかによその土地にいる人間が、重大な被害を負った地域で暮らす人の不便や喪失を「想像して」何か行動や生き方を選択することはとても大切だ。これは東京に帰って来てなおさらそう感じる。ただし、よその土地から被災地域を訪れた場合、その時点・その場所では「決して何も想像してはいけない」。
2011年3月11日までのバックグラウンドについて想いを巡らすことは、被災地から戻って来た後でもいくらだってできる。
仮に他地域から被災地域を訪れた人間がなんらかの心的異常をきたし、さらにそのことが運悪く報道などされ拡大されて周知された場合、圧倒的にボランティアの数は減るだろう。それは非常にまずい。
想像することが優しさとは限らない。現地では何も想像してはならない。小さなことでもとにかくはっきりとした目的を持って動くべきだ。


■また心的ケアなどについてのド素人であるが、1年前に家が火事で全焼した罹災者の立場から考えると、被災した町の残骸を見てそこにかつて何があったかを想像できる当事者のダメージというのは当然大きい。
「あ〜あ、ここに家が」「あ〜あ、ここに風呂が」「冷蔵庫が」「仏壇が」「居間が」。その「あ〜あ」が多ければ多いほど喪失感が具体性を帯びる。
今回の災害によって、地元や地域全部がそのような残骸と化してしまった方は計り知れないほどいる。
そして今回の状況が非常に深刻なのは(たとえば僕の家が火災によって無くなった際、周りの人たちの同情や優しさが僕たち家族一点に集中したが、)現地では全員が被災者であるということだ。お互い様に大きな被災を負った地域で、自分にとっての「あ〜あ」を吐露できる相手はなかなかいない。
また何かを失った後には、感傷にひたる間もなく保険や戸籍などについての膨大なペーパーワークがつきまとう。
狼が避難所で多くの人におのずと話しかけられていたように、そうした話を聞く役にまわるだけでも、他地域の人間が被災地を訪れる意義はすでに十分あると思う。






■7日に会って以来、用事があってCさんの所へ。震災前にデジカメで撮っていたという写真を見せてもらう。


■パソコンでその写真を見ながら説明をいただく。プロパティを表示させ、その記録日時を確認する。やがて写真を見ていくにつれ、何枚かの写真の記録日時が「3月11日14時46分」とあった。


■その写真を撮影したカメラをお借りし、僕が携帯で時報を聞きながら合図を出して狼に撮影をさせる。計算してみるとそのカメラの時計設定は最大30秒ほどしかずれていない。


■ただ単にデジカメで仕事場を撮影していた日常と地続きに、大きく長い揺れはきて、町が津波に呑まれた。


■Cさんとの用事を終えて、車で日和山公園に向かう。Bさんに石巻の沿岸部が一望できる公園と聞いた。勾配のはげしい坂のてっぺんにその公園はある。


ボ・ガンボス「夢の中」>



■日も暮れかけた頃だが、公園には多くの人がいた。カメラを向ける人も多い。夫に向かって大きな声で悲嘆の気持ちを表現する女性。ベンチに座り、ただ無言でその景色を眺める初老の男性。


■東京でも、震災が起きてからいろんなことが変わった。僕の身の周りだけを見ても、様々な案件の納品スケジュールがガタガタになり再編集の必要が発生した。横にいる狼の大学卒業式は中止になった。
理不尽と思えてならなかったそうした不測事態の理由が、この景色を見ればわからないでもない。すんなりと腑におちる。











日和山公園からホテルを目指す。何の会話も出てこない。




■ホテルの近く、狼が空いている中華屋を発見する。入ってみれば家族経営らしき、すごくいい感じの中華屋さん。電気や水道が回復したとはいえ、どの飲食店も営業時間が限られている。内陸部とはいえ夕飯のとれる店を探すのはそう容易ではない。


■まずは餃子が運ばれてくる。
一口、口に入れると……体が震える。なんじゃこりゃあ、である。超オーソドックスな餃子が食道から胃へ送られていく道程がはっきりとわかる。なんじゃこりゃあ、である。
狼を見ると……口元をおさえて涙ぐんでいる!


■久しぶりに満足のいくゴハンをたらふく食った気がした。


■一服してそろそろ店を出ようとすると、店のアナログテレビでニュース速報が流れた。今回の被災を「天罰」と呼んだ方が都知事選にて当確とのこと。


ソウルフラワーユニオン「NOと言える男」>


NOと言える男
太陽の季節に生まれた
NOと言える男
弟のアニでござります
NOと言える男
いじわるばあさんの後釜
NOと言える男
勝ち目のあるケンカだけする
(...)


NOと言える男
世間知らずのボンだから
NOと言える男
小物らしく弱者を叩く
NOと言える男
神の国ならボスだけど
NOと言える男
腐った男のなれの果て

ソウルフラワーユニオン『NOと言える男』 作詞:Takashi Nakagawa)


■餃子泣きを終えた狼が、
「都民はバカですねー」と涼しい顔で言いながらお会計を済ませていく。


■ホテルのロビーにあるトイレで用を足しながら、目線より少し高いところにある額縁に気がつく。

■あいだみつをを読んで泣きそうになる。

疲れたんだもの。

追憶のハイウェイ東北・「サイケな恋人」

4/9「サイケな恋人」


■ホテルのロビーには石油ストーブが置かれていて、やかんが焚かれている。そのお湯を客は使っていいことになっていて、ゆうべ、僕らもそのお湯で持ってきたチキンラーメンを食べた。チキンラーメンがこんなに美味いとは思わなかった。汁が、麺が、かやくのネギが、いちいち泣けるほど美味い。




【停電長期化、復旧阻む 被災地の動きに冷や水

 7日深夜に発生した東日本大震災の余震に伴う大規模停電は、解消に向かっているものの、送変電設備への被害が大きかった岩手県の内陸南部や沿岸部などでは回復が遅れ、大震災からの復旧に向けた被災地の動きに冷や水を浴びせた。
 震度6弱の余震で、市内約4万2000の全世帯が停電した一関市。JR一ノ関駅前の「蔵ホテル一関」で電気が復旧したのは9日未明で、余震による停電は1日半に及んだ。
 ホテルには8日、7日からの連泊客を含めて100人以上の宿泊予約が入っていたが、停電で部屋の電気や水道が使えないことを説明すると、キャンセルする客も多かったという。
 ホテルの担当者は「余震は東北新幹線が7日に(一ノ関―盛岡間で)運転再開した直後。復旧に向かうときに、また停電とは」と困惑した表情だった。
 3月11日の大震災発生以降、ようやく電気が回復に向かっていた岩手県三陸沿岸でも、余震による停電は長引き、被災者らが不安を募らせた。
(…)
 東北電力岩手支店によると9日午前10時現在、県内では大震災の津波被害から復旧していない沿岸部の2万9688戸のほか、一関、平泉の両市町を加えた計6万3651戸で停電が続いている。内陸部では電柱が傾いたり、電線が絡まったりしていることが復旧の遅れにつながっているという。

河北新報、4月9日 註・主に岩手県に関する記事)



■もはや滞在中の通電は望めないかもしれない。ほとんど開き直りに近い気持ちで石巻へ。


■道中、昨日に比べてだいぶ電気が復旧しているのがうかがえる。昨日灯りの消えていたトンネルも灯りがついている。俺たちのホテルは……悔やんでもしょうがない。ホテルのスタッフの奮闘を思えば、サービス・清潔感共に間違いなく大当たりのホテルなのだ。


■ほぼ毎日同じ経路で石巻へ通ったのだがとにかく細い道に集積されたゴミの山といったら尋常でない。









【震災ごみ「100年分」 石巻市処分場パンク必至】

東日本大震災で発生した宮城県石巻市の災害ごみは、同市の年間処理量の約100年分に上る見通しになっている。撤去を請け負う業者が足りず、処理の長期化は必至。市は県外の自治体に、ごみの引き取りなどに支援を求める方針だ。

 宮城県は、震災で発生した石巻市の廃棄物(船舶、自動車除く)を約538万トンと推計。同市が2009年度に処理した総量5万8300トンの約100倍の規模だ。

 石巻市の試算では、トラックと重機、作業員3人の50チームがフル稼働すると、3カ月ほどで片付くが、実際には20チームも集まっていない。

 処分が進まないため、一部住民は自力で市総合運動公園など3カ所の仮置き場に搬入し始めた。市は一部をリサイクルに回した上で、最終処分場に捨てる方針だが、「処分場は確実にあふれる」と危惧する。

 事態の深刻化を受け、市はごみの受け入れと処分への協力を求め、東京都などと協議に入った。市は「自力では限界。全国で引き取ってもらうしかない」(市環境課)と説明している。

 一般ごみも収集、処理が滞っている。石巻工業港に立地する石巻広域クリーンセンターが津波で機能が停止、収集車も流された。

 資源ごみの収集も止まっており、市は「不便を強いて心苦しい。5月までには改善したい」と話している。

河北新報、4月11日)


■見れば「100年分」というわけのわからない表現も納得できてしまう。






石巻市街部は、こないだの余震に関係なく(おそらく震災後ずっと)ついていない信号も多い。たとえば整理員のいない十字路の場合、運転手同士がお互い目配せなどをして発車する。
これはおそらくどのメディアも表現のしようがないが、かなり日本人独特のメンタリティーに裏打ちされた「交通安全」の在り方だとおもった。


■被災地では若葉マークも珍しい。狼が免許をとって間もないため、僕らのレンタカーには若葉マークがついているが滞在期間中、若葉マークをつけている車にほとんど遭遇しなかった。


■危ないから被災地域ではベテランドライバーにしか運転させないのかなぁと思った矢先……


石巻自動車学校、バリバリ路上教習実施中!!!!!


■道路状況はあまりにも異常であり、なぜこんな折に教習を続けるのかといぶかしがったが、考えてみれば当然だ。


■それは想像もしたくないことだが、いつかまたポニョが追っかけて来た時、この町で暮らすお母さんはソースケを乗っけてとにかく崖の上まで一目散で逃げねばならない。
母親だけではない。自動車を転がせる誰かが、幼子を、足の悪いジイさんやバアちゃんを、その他免許を持たぬまわりの誰かを、とにかく高い所まで運ばねばならない。
大袈裟ではなく命を守るために、運転技術者が少しでも多く必要なのだ。


■コアラと僕でバッテリーの数と残量を数える。このまま電気が回復しなければ充電を車の中で少しずつおこなうしかない。トータル表示時間を足し算してなんとか行けるのではないかと憶測。


■今日、コアラだけ先に東京へ帰る。どうしても外せない用事が明日あるので、東京に帰る。僕らが宮城に来て以後、毎日余震がある。だいぶ余震の集中している時期のようだ。僕と狼を残していくのはコアラも相当不安だろう。しかし今日、コアラは東京へどうしても帰る。


■コアラを送るため、山形空港へ。
新幹線も空港も機能不全の今、太平洋側の被災地域から東京へ帰る者は山形空港を使うのが主流だ。


■到着した翌日に最大余震を味わって以来、僕らはずっと緊張している。空気の読めない地震の大バカ野郎がいつ発生してもおかしくないと感じている。山形までの道中、コアラからいくつかの厳命を受けた。


「まず目的地に着いたら、ナビで逃げられる場所を入力すること。泊まっているホテルは内陸なのでなるべくホテルを入力すること」

「今日ホテルに戻ったら、いつでも逃げられるようにリュックを作ること。車のキーやお金、最低限の食料品などを詰めておくこと」

「仮に地震が起きてお前らが別行動していた場合、絶対にお互いを探しに行かない。とにかく安全な場所にいる方がどちらかが戻るのを待つ。絶対に探しに行かない」

「特にKYM、お前の性格からして狼を探そうとする。だけど絶対に探しに行くな。俺の人生で一番方向音痴なお前が狼を探しに行ったら、お前が危険だ。探しに行くな」

山形にはまだ雪が残る。


■コアラとは出張に行くたびウンザリするほどのケンカをしてきたし、早く帰ってくれと思うことがほとんどだったが今回ばかりは帰ってほしくない。もう30だというのに情けないがこの現場責任者は荷が重い。というよりも人数が減るっていうのがトータルの精神力として心もとない。
しかしコアラは今日帰る。理由が理由だけに仕方がない。


モーモールルギャバン「サイケな恋人」>


歩いてゆけるのかしら 揺れずに ぶれずに
あなたは変な髪形 ジーンズが似合わない
(…)


サイケな恋人 また会いましょう さようなら
悲しくないけど また会いましょう さようなら


夕暮れ 川沿い 流れるゴミ あなたのよう
パンチラ大好き あなたはゴミ 消えればいい


サイケな恋人 また会いましょう さようなら
悲しくないけど また会いましょう さようなら


モーモールルギャバン『サイケな恋人』 ※作詞者追記)





山形空港はチェックインカウンターの前に撮影機材を片づける人多数。知っている顔もあった。


■空港レストランで山菜うどん。ゆうべのチキンラーメンから味覚が、天上天下汁物独尊。


■狼をレストランに残しコアラと喫煙所へ。先に帰ることを申し訳ないと言われた上で、再度「地震が起きても絶対狼を探しに行くな」と告げられる。


■通電している可能性があるかもということでダメ元で狼にホテルに電話をかけさせる。
表情の乏しい狼だが、電話を終えてレストランに戻って来た表情が明らかに華やいでいる。
「電話つながりました!水道も電気も通ったそうです」
それを聞いてコアラもだいぶ安心したようだ。全員の表情が和らいだ。


■コアラ、明日結納のため(祝!10年ぶり3度目!)、一足先に帰京。


■帰り道、山形空港から栗原市までの運転を狼に任せてマサコと電話。


■電話がつながった矢先、
「一人で来るなんてアリエねえ!バス移動なんてアリエねえ!取材先が出たとこ勝負なんてアリエねえ!俺が彼氏だったら足折ってでも行かせねえ!別に数カ月経っても被災地に取材ソースはいくらでもあるから出直してこい!」などと矢継ぎ早に叱責(≒恫喝)を乱射してしまう。(☆註下記)


■だが事情を聞けば社内で無理くり押し通した企画らしく、予算も人員もかなりないとのこと。今回の取材をとりやめたら、再び行けるチャンスは薄いとのこと。マサコが勤めるエリアはほぼ一カ月が過ぎて震災全般に無関心の風潮があり、どうしても制作したいとのこと。
TNKディレクター、こちらが叱りまくりテンションがた落ちである。


■仕方がないので持ち物の相談に乗る。
「ランタンと、水と、鍋と、カセットコンロと、上着と…」
こいつ完全にフジロックの荷物をそのまま転用しようとしてるなと思いつつも、これ以上テンション落とされても困るのでうなづき続ける。
「それと、リュックに入るだけの携帯トイレ」
え?携帯トイレ?それは俺たちも持ってきてない。
「携帯トイレって…どこで用を足すの?」
「…うーん……陰で」


■東北4日目。これまでの人生で見たこともないような光景をかなりたくさん見た気がするが、野グソをしている三十路女はまだ見ていない。アメリカ軍による‘オペレーション・トモダチ’の評価は現地ではなかなか上々だが、タナカ軍による‘オペレーション・野グソ’が敢行されたらどうか。その評価はすでに火を見るよりも明らかだ。


■明後日、深夜バスで仙台入り。登米市石巻市をまわるとのこと。もうこうなったらお互いの無事と健闘を祈るしかない。どうか有意義な取材を終えて、ウンコを京都まで持って帰ってください。


■電気が灯いているホテルが目に飛び込んできた時はほんとにうれしかった。
フロントの大きなテレビでは映画が流れていて外国人がブチューっとキス(かなりディープな)を交わしている。昨日真っ暗で灯油ストーブしかなかったホテルのフロントでは、今夜、キスブチュー映画が流れ、ボランティア団体がスーパードライを飲んで互いの労をねぎらっている。
ライフライン、生活の軌道。それが息を吹き返したのを感じる。


■コアラに言われた通り、いざという時すぐに持って出るためのリュック(akaポニョバッグ)を狼と作る。


■簡単な打ち合わせを終え、自分の部屋に戻ると電気がつく。蛇口をひねれば水がでる。嬉しくて仕方がない。湯船に水を溜めながらテレビをつけてフロントで流れていた映画を部屋でも流す。


■それはトム・ハンクス主演の『天使と悪魔』だったようだが、終わりのほうで街中が破壊されるシーンがありおもわずテレビを消した。今はちょっと耐えられない。だいぶ感性が偏ってきている。
翌日狼に話したら、狼も部屋でその映画を見ていられなくなりチャンネルを変えたそうだ。


タナカ軍が取材の足として使うバスの名前…

いけるかもしれない。

☆註
宮城交通バス(通称・ミヤコーバス)に関して、あらためて取材を終えたTNKディレクターにその利便性を聞いた。
ミヤコーバスは、震災からおよそ一カ月、最大余震からほとんど日が経っていない状況の中「ほとんど1分も遅れず」運行していたとのこと。
ボランティアバスも(おそらくほとんど)なかったこの時期、ミヤコーバスは現地で車の手配をできなかった者・運転をできない者の強力な味方であり、TNKディレクターは、ミヤコーバスに対する感謝の言も地域住民から多く聞いたという。
運転免許を持たぬ方がボランティアなどで宮城を訪れる時、(時間の制約などは生じるものの)ミヤコーバスは大アリというのが現時点(5月下旬)の私見です。

追憶のハイウェイ東北・「働く男」

4/8「働く男」



【耐えれば必ず強い人間になれる】

 記憶も生々しい28日目。「第1次」に比べれば被害は小さいけれど、亡くなった方もいる。お悔やみ申し上げます。自然というヤツは、時を選ばず、こっちの都合を考えず牙をむく。
 7日午後11時32分は総務局のオフィスにいた。大きな揺れ、机の下にもぐり込んだ前回とは違って、外廊下に逃げた。幅2メートルに満たない左右の壁を両手で突っ張る。建物の揺れが直に伝わってくる。「このビルは1・5倍の揺れに耐えるよう設計されています」。3月11日のあと、管理会社の人に聞いた。計算上は最大震度7だって持ちこたえる。ゆらゆら揺れながら考えていた。なんでもいい、安心材料にしたかった。
(…)
 「やっと片付けたと思ったらまた…。気分が萎(な)えちゃいますね」。町で聞いた3人は同じ言葉を口にしたが、ほほ笑みまじり。「ものを買うのにまた並ぶのかな。でも、前ので鍛えられてるから…」。こう言って笑った1人は「第1次」で近しい血縁を亡くしている。それでも笑顔。強い。
 7日、震災以来初めて仙台に戻った楽天星野監督は避難所の人たちに言った。「今の時を我慢しましょう。耐えれば必ず強い人間になれる」。(…)負けるものか。耐えて、前へ。

(日刊スポーツ、4月8日)


■コアラによればこの日目が覚めた僕の第一声は「あー疲れた」だったという。
起きてもゆうべのことが夢のように思えてならない。


■やはりホテルの電気はどこもついていない。かろうじてタンクにあった水を用いてロビーにあるトイレは使える。別にイヤなニオイもしないし、窓から差す朝の光が照らしたトイレットペーパーは三角に折られていた。ゆうべホテルのスタッフは何時に寝たのだろう。ウンチをしながら仕事とは何かを考えさせられる。


PUFFY「働く男」>


■贅沢だが車に積んできたミネラルウォーターで歯磨きや洗顔


■車のキーは、狼の部屋のゴミ箱にホールインしていた。無事発見。石巻へ向かう。



■ホテルを出発してインターチェンジまでの間、昨日営業していたコンビニが今日は営業していない。高速道路の途中、トンネルの電気も消えている。朝とはいえ運転していてかなり恐い。


■3月11日から今日まであらゆる工事関係者、警察、自衛隊、そして住民がライフラインの復旧に努めてきた。しかしゆうべの大きな余震で多くのことが振り出しに戻ってしまった。


■目的地に到着しBさんと会う。Bさんはけらけら笑いながら大きな声でゆうべの余震の恐怖を喋る。


■コアラとBさんは車で女川町方面へ。僕と狼は避難所となっている地元の中学校へ。


■昨日避難所を訪れた際はどちらもAさんが同行してくれて僕らの存在を説明してくれたが、いかんせん今回は自分たちでその用事を説明せねばならない。
とりあえず正門から受付けへ。そこには‘眉毛攻めまくり(推定2ミリ)’の地元中学生と思しき受付嬢が座っている。流行りのやたらとフレームがデカいメガネをかけてらっしゃる。
「どちらの方ですか?なるほど。でもこの名刺だと記載されてませんが…。あ、協力会社の方ですか。いま教頭を探して参りますのでお待ちください」
‘トーホク眉毛キメキメ推定2ミリ少女’、百戦錬磨の完璧なマスコミ対応。


■間もなく震災後一カ月を迎える避難所には、得も言われぬ停滞感がただよっていた。体育館や武道場、あるいは理科室や被服室の堅い床でここまで寝食を過ごしてきたのだ。
そしてゆうべの大きな余震。安眠する間もない。



【深夜の避難所 緊迫】
激震がまた、襲ってきた。突き上げる揺れ、ゆがむ空間、倒れる棚、割れる物。「津波は大丈夫か」。深夜の東北に、恐怖と緊張が走った。(…)
避難所になっている宮城野区の仙台工高では、体育館が音を立ててきしみ、天井の一部が落下。避難者は毛布を頭からかぶって落下物に備えた。(…)
揺れの後、仙台工高には周辺住民が避難のために続々と訪れた。近くの道路では、水道管が破裂したのか、水が噴き出している箇所もあった。(…)

河北新報、4月8日 註・上記記事の避難所は僕が訪れた避難所とは異なる)


■しかし避難所でも子供は元気である。下駄箱で過剰な追いかけっこを続ける二人の少年が、おそらく家族ではないバアちゃんに怒鳴られている。
空いている校舎外のスペースでボランティアの高校生が色々と仕掛けて子供と遊んでいるようだが、わけのわからないルールのボウリングやら、八百長きわまりないミニ綱引きなどをとても嬉しそうにみんなでやっている。
少年や少女にとって、この頃の生活はやがてどうやって記憶されていくのだろう。





■「受付」もそうだが、「お茶あります」や「消毒をしてください」などの標識文字の類いはおそらく中学生がありったけのマジックを使ったと思われる、ギャル風な美観でギトギトに書かれたものが多い。なんだか豊饒なジャパニーズ文化祭的アートディレクションが息づいていてほほえましかった。


■それにしても狼はよく避難所の人にからまれる。原則として僕の後ろにいるのが常だが、用事があって振り返ると、オッサンにオバハンにお兄さんに子供に、ひっきりなしにからまれている。
みんな誰かと話したいのかもしれない。


■95年、小学生だった狼が神戸にいたことをおもえば、ここにいる子供のいずれかがやがて記者として被災地に行くことがあってもおかしくないだろう。


■つーか仕事しろよ、てめー。


■やがてコアラが合流。昼ごはんは焼きそば。石巻は町おこしの一環として焼きそばに力を入れているそうだ。細麺が美味しい。


■避難所を去った後、Bさんの自宅へ向かう。




東松島市のBさんの自宅は海からおよそ7キロ。海から7キロに住んでいる人間に「自分は海の近くに住んでいる」という自覚はおよそない。まさか津波被害がここにまで及ぶとは想像したこともなかったはずだ。だが、地震当日、水かさはBさんの首のあたりまで来ていた。


■はげしく瓦礫が堆積している場所がすぐ近くにあると言われて連れて行ってもらう。


宮城県東松島市(海からおよそ7キロ)


僕がこれまでの人生で住んだ場所。
1.東京都品川区西品川(海からおよそ3.5キロ)



2.東京都品川区北品川(海からおよそ2.7キロ)



3.東京都品川区東五反田(海からおよそ3.3キロ)



2011年4月8日、
仕事の用事で訪れた宮城県東松島市(海からおよそ7キロ)



海から

およそ

7キロ


僕は、これまでの暮らしで津波を自分の身に起きる危険として感知したことがない。



■風の影響なのだろうか、東北の空色は変わりやすい。


■夕方、Bさんと別れてAさんのいる登米市へ。








東北電力は8日、16時の情報として昨夜23時32分頃発生したM7.4の地震による停電状況を発表した。10時発表段階では3,049,154戸が停電となっていたが、16時発表では957,818戸となっている。

青森県 一部地域 28,953戸
岩手県 一部地域 377,161戸
秋田県 一部地域 3,679戸
宮城県 一部地域 512,186戸
福島県 一部地域 35,839戸
山形県 復旧
新潟県 復旧

(RBB TODAY、4月8日)


■戸数確認の正確性は疑わしいとはいえ、停電世帯数だけを見れば10時から16時までの6時間のあいだにおよそ200万世帯の電気が復旧したということになる。通電とは、無為自然にほっておいて回復するものではない。誰かがどこかで働きまくって徐々にライフラインが回復していく。


■それにしても僕たちのホテルは通電しているのだろうか。水は通っているだろうか。


■とにかく今日はまったくお金を使わなかった。出張とはいえ缶コーヒーだの、タバコだの、飴だの、日々何か身銭をきって細々とした嗜好品を買うものだが、今日はまったくお金を使わなかった。まるで空気の読めない(←本当に腹が立つ)、地震や余震というものは一発で資本主義経済をぴたりと止める。






登米市に着きAさんの到着を待つ。このあたりもまだ電気が一切来ていないようだ。


■しばしの待ち時間。コアラは後部座席にてiPadでゲーム。狼はAさんの車が来ないかフロントガラス越しにずっと前方を見つめている。コアラが起きている以上僕も寝るわけにいかないので、待っている間、TNKマサコ(aka飲んだくれのラジオディレクター)にメール。


■昨日、着信やメールがあったが取材で宮城県を訪れる予定とのこと。メールでいいから少し相談がしたいという。
「どういう体制でくるの?」とメールすれば、その返信
「一人で行きます。地元のバスで移動して避難所をまわるつもりです」。
……呆れて言葉もでない。
文面を見てすぐ、おもわず携帯画面に向かって「何言ってんだこいつ…」と言ってしまった。
すると助手席の狼が言う。
「‘富士山’って言ってます」
???
「さっきから何度も‘富士山’って言ってます」
一瞬、狼の気がふれたかと思ったが、狼が言っていたのは車内で流れているコアラ作成のBGMのことだった。


電気グルーヴ「富士山」>


■Aさんが来て打ち合わせ等。別れ際Aさんが言う。「ここはついてないけど、栗原のあたりはついてるんじゃないかなあ。さっきそう聞いたよ」


■Aさんから通電の報せを受けて、帰り道の我々は大はしゃぎである。「オラさ村に電気が通ったどー!!!!!」のノリである。シャンプーできる!風呂に入れる!もしかしたらホテルのレストランもやってる!


■たしかに朝よりだいぶ町が明るい。街灯もけっこうついてる。あれほどの揺れがあっても翌日にはインフラが回復するんだな、日本ってすごいな。





■しかし、ホテルが近づくにつれ次第に街灯が消えていく。ここはもともと、街灯が少ない地域?・・・にしても暗いなこれ。あの家も電気がついてないな。ついてる家があった!と思ったら自家発電機だなありゃ。あれ?暗い。暗い。暗い。どこホテル?あった。暗い。なんもついてない。



■フロントの人に聞いた。
「栗原は通電したって聞いたんですけど…」
「ええ、市の西のほうからだんだんと」
「このホテルは西からどれぐらいなんですか?」
「10キロぐらいです」
「大体でいいんですけど、電気が回復するのはいつごろ…?」
「早くて明日、長いと……10日か2週間か、ちょっとわからないですね」
はははは、と笑うしかなかった。


■はははは、はははは、はははは、はははは。

追憶のハイウェイ東北・「ガストロンジャー」

4/7「ガストロンジャー」


■起床。コアラと僕はそれぞれ休憩室で歯磨き。この施設は給湯器もあり、温かいお湯で洗顔できた。一服するとやがて狼がレンタカーでやって来た。


■Aさんとも合流。登米での用事が終わってから、まずは南三陸町へ向かう。


南三陸町まではコアラがAさんの助手席に座り、その軽自動車を狼と僕が追走。運転は狼、僕は助手席から車窓を記録する。


■去年の9月、僕は南三陸町志津川港から船に同乗させてもらい、養殖のホタテなどが獲れる漁の現場を見せてもらった。
猛暑の影響で海は生ぬるく、多くの漁業者が漁場の異変を憂いていた。
「9月でこんな温かいの初めてだぁ。‘プール’っつって呼んでんだよ」
そう言われて海に手を突っ込むと、たしかに泳げなくもない、まだ少しぬるい太平洋が掌を包んだ。


■それでも海に連れて行ってもらった明け方はすさまじい豪雨で、ウィンドブレーカーを着ていてもまるで無駄。雨水がじかに肌に触れてくるようで、風もつよく震えが止まらなかった。
僕が着ていたモンベルのウィンドブレーカーを見て漁業者の人たちは
「それ山の服だっぺ!海の服着てきてもらわないと困るっちゃ!」と笑った。


■ずぶ濡れの僕が港に戻るとAさんが自身の大きなセダンで迎えに来てくれた。その後すぐに行かねばならない所があったのだが、「一旦ホテルに帰ってシャワーを浴びて来い」という。
「大丈夫ですよ」とやせ我慢で返すと
「KYMさん、震えてるよ。風邪ひかれても困るし後のスケジュールはこっちで調整するからホテルでシャワー浴びて来い」と恐い顔で返された。
僕が座ったものでAさんのセダンの助手席はびしょびしょになり、罪悪感を覚えながらあまりにも無策だった自分を恥じ、登米市のホテルに戻ってシャワーを浴びた。湯船に浸かりながら気を失うように1時間ほど寝た。


■いま目の前を、Aさんの運転する黄色いナンバープレートが南三陸町へと向かっている。震災以来、Aさんは軽自動車で県内を毎日まわっているのだという。


■狼と僕はAさんの軽自動車を追いながら、やがて「ようこそ南三陸町へ」の看板を過ぎる。ナビを見るとまだ海まではしばらくありそうだ。


■しかし唐突にその景色は現れた。道路を挟んで両側のガードレールの向こう、見渡す限り破壊された町の残骸が広がっている。


■荒野。荒野。荒野。その光景は僕たちを動揺させる。ここで何が起きたのかがすでにわからない。まず自らの目を疑い、窓を開けて撮影をしながら入ってくる土埃の匂いを吸って、やはりこれは現実なのだと認識する。


■壊された営みを何も想像することができず、ただひたすらおののくことしかできなかった。交通整理の警官、工事関係者、住民もいるだろうか。その景色に用がある人たちが、信じがたい現実の中に、いる。



志津川駅の付近で停車。車を降りる。あそこに駅があった、ここに店があった、あそこにパチンコ屋が、役場が、ガソリンスタンドが……。何も想像できない。


■このあたりから自覚的にデジカメで撮影をしはじめる。


■線路が切断されて、ぐにゃっと曲がっている。ごろごろ船が転がっている。つぶれた車が落ちている。道の右側にあった車のディーラーが、道の左側に流されたと聞く。すべて「水」がやったことだ。わからない。わからない。わからない。




■2つの避難所へ行った。南三陸ではベースとなる最大の避難所をのぞき、インフラが止まったままの避難所が数多くある。


■3月11日から延々と不安と恐怖の塊のような時事ニュースが飛び交い、東京ですぐに僕は自分が疲れていることに気付いた。誰も彼もが疲れていた。東京にいて、普通に生活すること・仕事することが、文字通り「ストレスフル」のきわみだった。
だが次第に状況は妥協しながらも回復していき、依然とは少し違う生活にもあっという間に馴化した。
3月11日から今日まで、だいぶ長い日々が過ぎたようた気もしている。自分の住んでいる地域が計画停電のエリアに含まれているかどうかを会社のみんなで騒いだことなど、すごい昔の話のようだ。


■だが、あの日以来ずっと電気が止まり、水が止まり、戻る住まいもままならず、行方不明の家族や愛おしい誰かを想いながら続けられてきた暮らしというのが、この土地には無数にある。地震が起きて以後、どうにかこうにか家族や誰か大事な人と再会することができてこみあげた安堵。その安堵を得ることなく暮らし続けている人が無数にいる。


■出発前、宮田が僕に詩をくれた。



When You're Lost


When you're lost and discouraged, stop and look ahead,
and imagine yourself as one of those trees by the road.
The sunbeam feels so precious since it snowed
in the morning, and the breeze propels you to shed


clear drops of water. I know you've got a hole
in the middle of your chest, where a squirrel sleeps
at night, among a hundred nuts he keeps
for cold and difficult times. A few of them roll


out every day, to be awakened in spring
by earth's breath. At the moment, a local jay
alights to pick one up and flies away
in the direction of sorrow and love. Now sing


in her voice and listen to the trees and snow,
and in a minute you'll be good to go.





もしも道に迷ったら


方角も歩む勇気も見失った時は、足を止め先を眺めて
自分をあの道ばたの木の一つだと想像してごらん。
朝は雪が降っていたから、射し込む陽の光は
ひどく嬉しく感じられ、そよ風に揺られてお前は


透き通った雫をこぼす。胸の真ん中に開いたその
穴のこともわかってる――そこでは夜のあいだ
一匹の栗鼠が、寒く辛い時のために集めた
無数のドングリと眠る。ドングリの一部は日ごとに


外へ転がり落ちて、春に土の息吹が
起こしてくれるのを待つ。今は辺りのカケスが一羽
地面に降り立ち、一粒のドングリをくわえ
悲しみと愛の方へ飛んで行くだけ。あいつの


あの声で歌い、木々と雪とに耳を澄ましてごらん、
少ししたらまた歩き出せるようになるから。




■僕はAさんの助手席に同乗し南三陸から石巻へと向かう。高台から水平線が見えた。
「見ろよあの海。穏やかだろ。あれが全部ぶっ壊したなんて信じられねえだろ。ふざけてるよなぁ」
相応しい形容ではないが、自嘲気味にAさんがそう言う。


■内陸の田んぼや畑は、一見まるで被害がないように見えるが塩水をかぶってしまい再生困難なものも多いのだという(こうした被害一般を「塩害」と呼ぶ)。視覚では捉えられない絶望がかしこに在る。


■Aさんの助手席に乗せてもらったまま石巻市へ。今回の震災で人口の変動は少なからずあろうが、宮城県内では仙台に次いで第二位の人口を擁する都市だ。


■途中、国道沿いにはあらゆる場所に多くのゴミの山が溜められている。大型の店舗やチェーン店など、いかにもよくある郊外のメインストリートなのだが、開いている店はまだ少ない。


石巻に着き、Bさんと再会。去年の9月、志津川港から僕をホタテ漁に同伴させてくれたその人は、上下黒い服を着ていた。スーツではないが喪服なのだろう。
「Aさんが会わせたい人がいるっつったから、誰かなっておもったけどこのメンバーなんじゃねえかなっておもったんだ!」
だいぶ痩せたBさんが僕とコアラを見つけて大きな声で笑った。


■コアラが「お前とBさんで打ち合わせしとけ」といって、Bさんと二人、休憩室へ残された。
地震の後、まず災害伝言板で番号を入力したのがAさんとBさんだった。Aさんの番号はすぐに見つかったけれど、Bさんの番号はなく、その安否が今日の今まで心配だった。いま目の前にBさんがいる。痩せてはいるけどビシビシに訛りを利かせて明るく喋るBさんがいる。


○3月11日午後2時46分、Bさんは仙台にいた。揺れがおさまり「とにかく高速に乗ろう」と決意したらしい。交通規制がかかる直前、なんとか高速に乗ったもののすでに道路は大渋滞であった。


○自宅のある東松島市に着いたもののすでに町中ははげしく水が浸入してきており、自宅から約3キロの所で車を降りた。水位は首のあたりまできていたという。
記録を見ると14時の時点で東松島市に隣接する石巻市の気温は4.6度(※気象庁の記録では、ほぼ時間刻みで毎日温度計測がなされているはずだが、3月11日14時以後の記録は残っていない)。日暮れを過ぎて、これ以上気温が上がったとは考えづらい。ちなみにこの日、朝7時の時点で石巻はマイナス1.9度である。


○凍えるような水に首の下からつま先までどっぷりと浸かり、Bさんは3キロの家路を歩いた。「そこに家があるんだからよぉ、しょうがないっぺ」。
3キロの道程を歩く途中、思い出すことのつらい光景をいくつも目にしたという。


○2階建ての家は軒先にステップがあるものの1階部分は著しい浸水。やがて保険会社より「全壊」の認定が降りることになるその家の2階で、Bさん一家はなんとか全員揃ったが「寒過ぎて眠れなかった」という。


○とにかくしばらくは食べる物がロクになかったそうだ。Bさんは「震災から2週間は地獄」と大きな声で何度も言う。ほぼ4週間しか経っていない今、数週間前の地獄を笑えるから人間はタフだ。


■手帳を読み返してみると、おそらく3月16日、僕は自転車で原宿に行ったが、あまりの寒さに耐えられず、帰り道、手袋を買った。たしか全国的に一気に冷え込むという天気予報が出され、一緒にいた後輩と「東北はすげえ寒いんだろうなぁ」と悲しいまでに脆弱な想像力で、何の足しにもならない言葉をはいた。


■「そこに家があるから」。ただその理由だけで冷水に首からどっぷりと浸かったまま、3キロの道程を人は歩くことができるのだろうか。ましてや3月上旬の東北沿岸部だ。歩いた人が目の前にいる。それでも誰か―――たとえば自分と置き換えたり想像することがまるでできない。



■明日の約束をしてBさんと散会。同じく石巻で別の人(Cさん)と会う。


○Cさんは海から2キロの地点で震災に遭った。周りに高い建造物があまりない駐車場に避難し様子をうかがっていたという。


○やがて道路にジワジワと水が溜まり始めた。当初、水道管か何かの不具合や液状化を推測したという。(※後日追記)そこでようやく津波によって押し流された海水がここにまで及んできていることを察知する。


○慌てて車で内陸部の自宅まで逃げ帰り、再びその場所を訪れたのが2日後。海から2キロ離れたその地域は、およそ1メートルの水位まで浸水しており、自衛隊のボートが救助活動している様子をやや隆起した場所から遠巻きに眺めることがやっとできただけだという。


■Cさん、そしてAさんとも散会。今日は僕もコアラも狼も栗原市のホテルに宿泊する。石巻から車で栗原へ。


■今日だけで僕たち三人は様々なカルチャーショックを感じまくった。
車内、「まだ地震から一カ月も経ってないのになんであんなに元気なのかがわからない」と僕が言えば二人とも激しく同意する。
同意した後、コアラが言った。
「だけどなKYM、俺だってお前の家が燃えて見舞いに行った時、お前のお母さんがなんであんなに元気なのかなって思ったんだよ」
いかにもな風でコアラは言うが、それは母の異常な人間性に由来しているような気がするし、言われてみれば確かに通ずるものがあるのかもしれないと思う。






栗原市に着いても開店している店は少なく、品薄のコンビニで夕飯として明太子スパゲッティやチキン・缶ビールを購入。


■宿泊するホテルはユースホテルのようなたたずまい。駐車場にはおそらくボランティア団体のものとおもわれるバンなどが停まっている。宿の確保は狼に丸投げしていてどんなホテルだか不安だったが、新しくて清潔でなかなかいい感じじゃないか。


■部屋で三人、コンビニご飯を食べながら明日以降の打ち合わせ。打ち合わせというよりも今日感じた様々なことを喋りあいながらお互いに散らしていく。


■打ち合わせもほぼ終わり、ホテルの入口にあるベンチでタバコを吸いながら宮田に電話。


【その電話で宮田に話したこと、覚えてるだけ】
・まだ誰も今回の被災を客観的に評論すべきではない気がする・おそらく世代があと一回りぐらいしてやっと語ることができるような気がする・今回の災害は、自然による「人間破壊」なんであってエコロジーは超不毛・あんな奴ら(自然)と共生なんかできないよしばらくは...
などの会話をした矢先だった。


■ずずず、ずずず、と地面が揺れ出したのを感じた。ずずず、ずずず、ずずず、という明らかな揺れが加速していき「後でかけ直す」と言ってあわてて電話を切る。
すると町中が音を立てて激しく揺れ出し、すぐに立っていることもままならなくなった。やむをえず四つん這いになるが、腕が地面についていられない。ヒジが折れる。
四つん這いになった目の前、電柱が、建物が、振り返ればホテルが、はっきりと揺れている。揺れは長く続き途中で町中の灯りが一斉に消えた。
真っ暗な中、立ち上がりホテルを見ると先ほど電話をしていた場所にあった植木が倒れている。
コアラと狼は部屋にいる。ホテルの中に入り、非常階段を駆け上って部屋のある三階を目指す。
それぞれのフロアに非常灯がともり、マンガなどが並べられていた本棚が倒れている。


■部屋に入ると靴を履いている最中のコアラから無言でカメラを渡される。他の客もそれぞれ一斉に一階に降りていく。(その時は気付かなかったが、テープには恐さからか僕の激しい息切れが記録されていた。)


■ホテルの入口前に出て、車のキーを部屋に置いてきたことに気づき、狼の部屋に向かう。部屋に行くが、テーブルに置いていたというキーが見つからない。部屋は意外と整然としているのだがキーがない。テーブルをまさぐると、アメニティのコップが開封されていないまま粉々に割れている。鳥肌がたった。


■キーを探していたが「全員表に避難してください」とホテルのスタッフに呼びかけられた。あきらめてホテル前に避難し、客全員が点呼をとられる。ガス漏れの心配があり、やがて全員フロントで待機。


■フロントにてコアラがiPadYahoo!ニュースを見る。
「一番つよいとこで震度6強だってよ。宮城県栗原市。……ん?ここじゃねえか」


地震発生時、キャスターが言う「テレビやラジオはつけたままにしてください」という呼びかけは、過度な被害に遭った地域には届かない。何せ電気も何もかも止まってしまうのだから。


■安全が確認され、それぞれの客がフロントから部屋に戻る。真っ暗な部屋で僕たちは途方に暮れる。持ってきただけの懐中電灯をつけても、暗い。ここは内陸部だが、窓の外から津波警報のサイレンが聞こえる。
真っ暗な町。やまないサイレン。これは歴史ではない。現在だ。2011年4月7日。最大余震。戒厳令の夜


エレファントカシマシ『ガストロンジャー』>



4月7日午後11時32分発生の地震の詳細
04月08日 07時00分 現在
情報発表時刻 2011年04月07日 23時46分
発生時刻 2011年04月07日 23時32分ごろ
震源宮城県
緯度/経度 北緯38.2度/東経142度
深さ 40km
規模 マグニチュード 7.4



 宮城県北部と中部で震度6強を観測した7日夜の地震で、宮城などの東北各県は8日、被災地への高速道路など交通インフラの被害状況の確認を急ぐ。
 各県によると、津波に関連する被害の報告はない。東北電力によると、8日午前0時現在、青森、岩手、秋田の各県全域で、宮城、山形、福島各県では一部で、計約364万世帯が停電。
 各県ではけが人がいるとの通報が相次いだ。宮城県警によると、仙台市などでガス漏れや火災などの110番が十数件あった。同県内の高速道路はすべて通行止めとなった。

河北新報、4月8日)

追憶のハイウェイ東北・「****」

 【追憶のハイウェイ東北】と題された記事は、震災からおよそ一カ月後、仕事の用事で訪れた宮城県滞在時の日記です。
 あくまで第一に自分自身の「備忘録」として、主観や個人的な感想、あるいは想像を主軸に記述していきます。いくらかパブリック(とされる)なデータも引用するつもりですが、そうした材料の裏取りも絶対保証されたものではありません。滞在中に訪れた場所も、ごくごく限られた地域です。


 2011年3月11日に発生した東日本大震災は、1995年1月17日の阪神淡路大震災と比較され、語られることが多々あります。それについては、日本史上、近しい時代に起きた「国民的大災害」として当然のことと感じます。
 ただし近しい時代に起きた災害とはいえ、16年前の阪神淡路大震災について、写真付きのブログ記事として残されている記録はほぼ見当たりません。だとすればこれからこのブログにアップする文章や写真が、将来どなたかに予期できない心的な負荷や不安を与える可能性も否定し切れません。
 万一、無為に僕の日記をご覧になって不快感や不安感を覚えた場合は、以後の記事をお読みにならぬようお願いします。


 この日記は、第一に東北の惨状や人間の美しさを自分自身が忘れないための「備忘録」としてあります。
 第二に、どなたかが「東京者が見た一カ月後の被災地見聞録」を読んで下さり、東日本大震災と自身の距離感を捉える手掛かりとして好き勝手に解釈して使ってくれることを夢想します。

(編集協力・宮多攻助)

◇◇◇


4/6「ふれあい」




■田町でレンタカーをピックアップ。会社で積荷。今回の出張はとにかく荷物が大量。食料品や電池類。普段出張には持っていかないものを持っていく。


■以後、最終備品の買い出し。コアラ(※上司※以後「コアラ」と記述※おせっかい。俺がこれまでの人生で一番メーワクをかけ、かけられた人)を自宅まで迎えに行き、その後、中目黒のドンキホーテに初めて行った。整理されていて見やすい。


・リップクリーム・イソジン・洗剤など購入。
ハリボー・干し梅・のど飴など車中で頬張る菓子のたぐい。
・狼(※3月入社の新卒※女性※以後「狼」と記述)が免許取得後一年経っていないため若葉マークも購入。
・ミネラルウォーターをさらに買いたかったが、本数制限あり。「家族で一本」しか買えず。我々は家族ではないがなんだか一本しか買えず。


■コアラがご親切に「お前の好きそうな曲焼いてきたよ」とCDを9枚も焼いてきてくれる。


【道中聞いたもの、覚えてるだけ】
神聖かまってちゃん岡村ちゃん・小沢ちゃんと小山田ちゃん=フリッパーズ・初期オリジナルラブ田島貴男ボーカル時代)・高橋幸宏安藤裕子戸川純モーモールルギャバン・電気グル―ヴ・くるりのトリビュート盤から数曲・ミドリ・ムーンライダーズ等々
僕の趣味にかすりもしないのも多々あれど、たしかに長距離の運転、BGMはとても大事。首都高に乗り、いざ東北道を目指す。


■狼は若葉マークだが運転がうまい。交代で運転。(※コアラは免停のまま更新を怠り、免許が無効になって久しい)





■蓮田SAで昼食。チェゴヤがあるとは感激。石焼ビビンパと半冷麺食う。セルフサービス化されているのだが、味はちゃんとチェゴヤの味。


■コアラのおススメで佐野SAでアメリカンドッグを食う。美味しい。地産の牛乳とソーセージを使っているらしい。ソーセージの肉汁がすごい。







■走行中、パトカーの群れに何度か遭遇。
群れのナンバーは広島・山口・岡山とあり、中国地方のパトカーが向かっているのかと3人で憶測したが、やがて愛知・静岡・岐阜、他にも他府県ナンバーが混在し規則性を見失う。とにかくいろんなパトカーが北へ北へと向かっている。


東北道から見えるどこかの橋に「救援ありがとうございます」という横断幕。誰が作ったのか。いつ作ったのか。いま東北自動車道は「救援のための道」として在る。


■やがて福島。東北地方に入ったというだけで運転に妙な緊張。チンサムロードがだんだん増える。ものすごく短い間隔でチンサムロードの応酬がつづく。割れた道路、砂利、盛られたコンクリート。あれから誰かがヒビの入った「救援のための道」を大急ぎで馴らし、今日このレンタカーが走れる道がある。とめどないチンサム、チンサム、チンサム、エンドレスチンサムロード………



■午後6時半頃。長者原SAで最後の休憩。レストランは通常営業。


■ウェイトレスに注文を頼んで横のテーブルを見ると水道局員と思しき男性3人組。腕章には「石狩市」とある。
他のテーブルを見るとほとんどが作業着姿の男性グループ。どうやら日が暮れて作業が終わり、夕飯のピークタイムなのだろう。
やはりどのグループも腕章をしている。「石狩」の向こうに「苫小牧」、その向こうに「小樽」。ここがどこだかわからなくなる。まだ僕たちは本州を越えていないはずだ。ここは宮城県大崎市長者原サービスエリアである。


■それにしてもウェイトレスは過剰にお冷をくれる。誰かが一口飲めばそのテーブルにすぐに駆けつける。石狩に、苫小牧に、小樽に、僕たちに、お冷を持ってすぐに駆けつける。歩きまわる彼女の姿が、さっき見た「救援ありがとうございます」の横断幕とダブる。彼女が仕事を通じて体現できるもてなしが、お冷を注ぐその行為に表象しているような気がしてしまう。


■3月11日午後2時46分、そのウェイトレスはどこにいたのか。ここにいたのか。その時お冷のグラスは、ポットは、テーブルは、皿は、サラダバーは、このレストランはどうなった。あの日と今日では飲み水の意味までもが違う。そんなこと誰も予測できなかった。およそ一カ月経ったいま、客席がほとんど北海道の作業員で埋め尽くされていることも。



■考え過ぎかなと思ってそのへんで想像を膨らませるのをやめる。以前からずっとお冷を注ぎまくっているウェイトレスなのかもしれないし、そういうマニュアルがあるのかもしれないし。



■若柳金成ICで下車。20時、登米(とめ)市に到着。


■係の方の案内でAさんの待つ場所へ。係の方の軽自動車を追走。県道はおだやか。しかし所々コンクリが剥げていてチンサムロードが多少ある。


■Aさんと再会。なんだかAさんと会ってもAさんがそこにいることが信じられない。背の高さ・目の鋭さはそのまま。一気に安心が芽生える。


【聞いたことメモ】
震源地が宮城県沖と知った時・蒼白、焦燥・宮城へ・帰宅していない・あまりに数多の決断・石巻・南三陸・身内のこと・悔恨・希望・葛藤、葛藤、葛藤


■明日以降について、こちらとの簡単な打ち合わせを終えると、人事関係の仕事に長く関わってきたAさんは、まるで面接官のように狼に質問を食らわす。
その会話の中で僕もコアラも初めて知ったのだが、1995年、狼は神戸に住んでいたのだという。小学校低学年であった当時の記憶はあまりないらしいが、通っていた小学校にヒビが入ったのは覚えているという。


■明日、沿岸部をまわるAさんに同行する約束をして散会。栗原市へ向かう。


■東京で片っ端からホテルに電話をかけたが、県内で営業しているホテルはまだ限られており、そんでもってどこもかしこもパンパン。そりゃそうだ。他府県ナンバーのパトカーも、北海道の水道局員も、たくさんの人がいま東北にいる。
この日は栗原市にシングル一室しかとれず。狼だけがそこに泊まる。下剋上反対。逆男女差別反対。僕とコアラはAさんの会社の休憩室に泊まれる用意していただいた。


■僕とコアラを送った後、狼だけ車でホテルへ。僕とコアラは小腹が空いたためチキンラーメンを車から降ろしたが、箸を降ろし忘れ撃沈。


チキンラーメンをあきらめた僕とコアラ、干し梅で口寂しさを凌ぎながら明日からの打ち合わせ。打ち合わせ開始直後、狼から僕とコアラそれぞれに「お疲れさまでした。おやすみなさい」のメール。こいつだけ今日は風呂に入ってすぐさま寝られる環境にある。下剋上&逆男女差別猛反対。


■シラフのまま休憩室で床に就く。眠る間際に若干の余震。体感だと震度3ぐらいのものだろうか。僕が「揺れてますよ」と言うと、すでに半分眠りに落ちたコアラが「揺れてるねー」と言った。揺れはその後感じなかったが、コアラのイビキがうるさくてしばらく眠れなかった。

追憶のハイウェイ61

追憶のハイウェイ61

拡散すべき歌!

311を過ぎて、すべての表現が一気に意味を変えてしまった気がする。


だけど誰かの歌に耳を澄ます感覚が鈍磨したのかといったら、それには断乎NOを答える。


神経がビクついて歪曲して震えながら泣いている今だから、ギンギンに感じられる声がある。言葉がある。歌がある。


ダイレクトな被災をこうむったわけでない東京に居たって、みんな働くこと・移動すること・食べることにふとした瞬間、妙な虚しさを覚えるはずだ。


だからこそ今、これまでの人生がそうだったように、歌に生かされたい。
(みんなもそーでしょ!!??)


以下の歌を、これだけ感じまくれるキッカケを与えてくれた神様に、中指突き立てながらお尻ペンペンしてファッキューと叫ぶんだ。


・悲しみとは絶対に受動的なもの。それでも素晴らしい日々を送っていくことをロックンロールは強要する。
エレファントカシマシ「悲しみの果て」


・あなたがそう言ってくれるなら泣かないで済むかもしれない。
安室奈美恵「Baby don't cry」


・直近のリリースが全て不毛にさらされ唾棄されていく中で、逆に深化してしまう場合もある。
歌ってる場合ですYO!ライムスター「そしてまた歌い出す」


原発を茶化し平和を願う88年リリースのRCサクセション「カバーズ」は預言の書だった。
KINGもGODもいない明日なき世界で狂ったフルートが鳴り続ける。
忌野清志郎「明日なき世界」


・ヤサホーヤ、リマインデッド2011。
ソウルフラワーユニオン満月の夕


・人はざあざあの雨に濡れながら神を恨む。
ボブディラン「激しい雨が降る」


・日本人であることに悶え嘆きながら、日本人であることに全身全霊肯定を試みる。
中島みゆき「ファイト」


・救いはあるだろか。みんなで歌うことだ。
フォーククルセイダース「悲しくてやりきれない」


・ディランみたいに打ちひしがれたかった。
桑田佳祐「激しい雨が降る」


・@pori195さんの選曲
どんなにでかいニュースがあっても、暗い部屋で震えるしかないひとりぼっちの孤独と、残酷なまでに自由な想像力の羽根。
イエローモンキー「JAM」


・皮肉でもデフォルメでもない。なぜか2011年、この歌は直喩の歌に化けた。
ザ・ブルーハーツ「旅人」


・全てのブルースは全ての哀しみに通低する。
憂歌団「嫌んなった」


・さすが秋元。やりよる。
とんねるず「一番偉い人へ」


・@samurairock365さんの選曲
飛鳥にしか見えない荒野が、今ははっきりと見える。そして飛鳥はステージに登場する際、いい顔で客を指差す。
チャゲアス「太陽と埃の中で」


・国民的とはこういうことだ。
スマップ「俺たちに明日はある


・チャボの声が聞きたい。チャボに泣かされたい。
麗蘭「時代は変わる」


・おい、何が起きてるんだい??
2011年、日本人全員が日常レベルでマーヴィンと共振できるという不幸な奇蹟。
マーヴィンゲイ「ワッツゴーインオン?」


・いつかもう一度海を好きになる。
UA「プライベートサーファー」


・寒すぎる。だから君の声をほしがってる。
奥田民生「野ばら」


・神様、お前は何様ですか?
ウルフルズ「暴れだす」


・拝啓、ジョン・レノン。想像するのがしんどいです。
真心ブラザーズで二曲「拝啓、ジョン・レノン」そして「明日はどっちだ」


・拝啓、ボブ・ディラン。いつまで風に吹かれてるんですか。いい加減答えを教えろ。
桑田佳祐「風に吹かれて」


・風が騒ぐ夜はうちに帰りたくない。よっちゃんといたい。
よっちゃんによるボ・ガンボスのカバー「トンネルぬけて」


・テレビってこんなに楽しいものだった。
ユニコーン「スターな男」from「夢で逢えたら


・間にあうかも知れないし、間にあわないかも知れない。自由なのかも知れないし、不自由に違いない。
吉田拓郎「まにあうかもしれない」


・「明日なき世界」で始まる「カバーズ」は、この「イマジン」で終わる。
ヘイ、ボス。お願いだからこの世に戻って来てくれないか。


・国民的とはこういうことでもある。
Bank band feat.桑田佳祐希望の轍」そして「奇跡の地球」


・おやすみなさい。ただただあなたに、おやすみなさい。
奥田民生による陽水のカバー「最後のニュース」


・この冬が終わるまで。何かを信じて生きてみよう。
財津和夫サボテンの花


・絶望が痛い。
ジョニーサンダース「サッドバケイション」


・おい、みんな、ファッキン兄弟とか友達とか家族とか、大事にしろよ。
オアシス「スタンドバイミー」


・強く、確かな、日本語の歌を。
さだまさし風に立つライオン


・手を叩け。愛を呼べ。
ドラゴンアッシュ「陽はまた昇りくりかえす」


・生きたい。与えたい。孤独の旅路を踏破したい。
ニールヤング「孤独の旅路」


・きっと山口隆の歌は凄味を増す。はっきり言って期待している。
サンボマスター「歌声よおこれ」


・No futureな今、パンクとは現実だ。
椎名林檎「時が暴走する」


・火事に遭った時、後輩からもらったiPodにこの歌が入っていて、深く泣いた。
ボ・ガンボスとソウルフラワーのセッションによる「夢の中」


・向井キモい。優しい。かっこいい。抱かれたい。
向井秀徳「守ってあげたい」


・季節に向かって命令形で物を言える歌手もいる。マジで早く来い。急いで来い。
松任谷由美「春よ、来い」


・@Nachilibreさんの選曲。
誇り高き獅子たちよ、立ち上がって笑いながら余裕しゃくしゃくでアンセム鳴らそうぜ。
スカパラ、ボーカルは伊藤ふみお「Pride of Lions」


・ヘドウィッグならわかってくれる。どんな悲しみも、やるせなさも、寂しさも。


甲斐よしひろの昂るボーカルは過剰だ。だからこそ今、耳ヲ貸スベキ。
「風の中の火のように」、そして「ヒーロー」


・なんかこの国全体が長い悪夢にうなされているようで。
ビリーホリデイ「奇妙な果実」


・そしていま懐メロのようにyoutubeから流れてくるあなたの声はとても優しいよ。
ジョンレノン「マインドゲームス」


・中学の頃、落ち込むといつも聴いてた。
B'z「あいかわらずなボクら」


・誰かがどこかで私だけの死者を自責の念に駆られながら見送っている。
川本真琴「ほんとうのはなし」


・転がりまくってそれでもお前めがけて光を照らすのだ。
ローリングトーンズ「シャインアライト」


・こんな時にミスチル聴いたら弱くなる?んなことない。強くなる。
ミスターチルドレン「いつでも微笑みを」


・激情を包み込むポップスはすごい。耐えがたき号泣を掌握できるシンガーはすごい。
ドリカム「朝がまた来る」


・こんにちはの数だけさよならがある。だからさよならの数だけこんにちはがある。
ビートルズ「ハローグッバイ」


・最後は水谷八さんの選曲。
塚本功「なんてことないことさ」
そうだよ、なんてことないさ。そうだよね?

3月6日未明


Q自分のことをフツーだなぁと思うのはどんな時ですか?
束芋現代美術家



下世話な噂話が大好きである、
メールした相手から返信がなかなか来ないと、
落ち着かず、クヨクヨしてしまう。
日曜日、『笑点』が観られることが嬉しい…etc.
私という人間はフツーだらけであります。
BRUTUS 2011年3月1日号 緊急特集 桑田佳祐,マガジンハウス)




















I'm Nobody! Who are you?
Are you--Nobody--Too?
Then there's a pair of us?
Don't tell they'd advertise--you know!


How dreary--to be--Somebody!
How public--like a Frog--
To tell one's name--the livelong June--
To an admiring Bog!


(‘I'm Nobody! Who are you?’,亀井俊介編『対訳 ディキンソン詩集』,岩波文庫,1998)























2月下旬時点、3人あわせて90歳(どっひゃぁ〜)







■先日は中途半端な日記アップして心配かけたりすいませんでした!(ご覧ください、この無難な日記タイトル!)
くよくよしてるうちに30歳になっちまったよー\(゜ロ\)(/ロ゜)/
まあ、どうですかね。元気なフリすんのもしんどいんでもうちょっと袋小路抜けたら騒ぎ始めます。


■もう何も作りたくないんだな最近。これは滅入ってるんじゃなくてかなりアグレッシブに思う。参ったよ。こんなの初めてだ。作ることとは善きこと、美しいこと、カッコいいこと、子供の頃から夢見てきたそんな理想、幻想、妄想が瓦解していく。本当に恥ずかしいんだけど、何かを作ることを強要してくる人たちをバカじゃねーのか、と本気で思ってしまうのだ。手をあげたい衝動に駆られるのだ。まあいいや。今こそ丁寧にいこう。


■壊さないし、自棄にならない。絶対に約束するよん。



好きなネオンは?と問われたら銀座のFUJIYAか、外苑前のコカ・コーラと答える。