残雪な睦月の1DK

「この部屋、たいへん陽当たりがいいんですよ」
と言いながら、嬉々として年配の大家さんは案内してくれるのだけれど、部屋の裏手には一週間前に降った雪がどっさりと残っていた。
「雪・・・残ってますよね」と言ってみても、
「あんなに降ったの久しぶりでしたねー」
と、まったく大家さんのテンションは下がらない。
「この部屋、なかなか住んでくださる方いなくてね、家賃もあと2〜3千円お安くしますからどうかぜひ」
大家さんは大きな声でそう言い、アパートの前で僕が見えなくなるまで見送ってくれた。
 大家さんはとてもいい人だったし、間取りも家賃も望みに適っているのだけれど、いかんせんあの陽当たりでは「リブート」できる気がしない。
 その日は、不動産の男性とたくさんの部屋を見て回った。不動産の男性はたぶん僕より年下で、とても運転が上手だった。後部座席で間取り図や車窓の景色を眺め、なんでだか頭の中では、昔テレビで見た泉谷しげるの「サティスファクション」がずっと流れていた。
 一人暮らしというものをしたことがないから、いまだにその良さとして真っ先に思い浮かぶのが「好きなだけエロビデオが見られる」だし、夢は「友達集めて麦とホップ飲みながら日本代表の試合を見る」ぐらいしか浮かばない。
 ある友人によれば、一人暮らしを始めて最初に寂しいと感じたのが「家に帰って、ゴミ箱の位置が動いていない時」だったらしく、それを聞いて「へえ!」って大きな声で言ったけど、家に帰ってゴミ箱が動いていたら僕はダッシュで実家に帰るだろう。
 両親と同居しているいまの住まいで僕の部屋は圧倒的に寒い。寝る時にタイマー設定して電気ストーブをつけることが多いのだが、部屋の熱気が沈殿して変なトコに溜まるのか、ストーブをつけて寝る夜は、悪夢を見る。相当に酔ってでもいないかぎり、必ず見る。
 悪夢は、僕が「寝ている状態」からはじまるものが多い。「実際と同じ状態」から始まるのがタチの悪いところだ。ただ、寝ている場所はいろいろで、かつて住んでいた家や別の土地だったりする。
 夜中、悪夢を解くようにパッと起きて、自分がどこの寝床にいるのか、わからなくなる。それで壁や机や、暗がりの中で目に映るものをヒントに、「ああ、ここは、家だ」という安堵を得て、目を閉じてもう一度寝る。
 再びの眠りにつこうとする時、かつてここではないどこかで眠った時のことをふと思い出す。
 それは、たとえば子供の頃の夏休み、静岡の祖父母の家で寝た時のことだ。ほとんどひと気のない田舎の夜には、東京とは異なったいろんな音が聞こえるのだった。虫の音、蛙の音、風の音・・・。静ひつさの中では、時折家の前を車が通ると、それが乗用車なのかトラックなのか、その大きさすらも感じ取ることができた。
 目を閉じて、遊び疲れた体はクタクタ、意識もウツロに「音だけ」に身をまかせ、トリップしながら眠る夜が好きだった。
 不動産の男性は移動中の車の中で「どうして部屋を探されてるんですか?」と僕に尋ねた。
「リブートのためです。最近リブートって言葉の意味知って。すごく気に入って。リブートのためです」
 不動産の男性と僕は、そんなことを言うような間柄でもないので嘘の言葉で答えた。
 その日まわった家のうち、最後にまわったのは僕が選んだものというより、僕の条件に応じて不動産の男性が導き出したものだった。
 期待も持たずその部屋に入った。
 不動産の男性が一番奥の窓の遮光板を開けると、向こうからの陽光が照りつけて、床にはげしく反射した。照り付ける陽光はハレーションを起こしていて、デジカメで部屋を撮ろうとしてもうまく写せない。ハレーションとは、カメラマンの敵だ。だけど僕はカメラマンじゃないからハレーションが好きだ。「ハレーション」という題名で歌を作ったこともある。
 窓の際から景色を見れば、JRの線路が建物と建物のあいだから垣間見えた。数分に一度通り過ぎる山手線の音がやかましい。空も広くて、一週間前に雪が降ったことなどなかったかのようだ。
 眠る時や起きる時に聞こえる電車の音を、想像してみる。「がたんごとん」がどうして「がたんごとん」なのか、そんなことを考えながら眠ってもいいかもしれない。「がたんごとん」が聞こえる部屋。それはリブートの部屋だ。目をくらますような陽光が雪解けのベランダに射して、春がくれば名もなき草たちが芽吹くだろう。わくわくするぜ。心拍数があがるぜ。