追憶のハイウェイ東北・「****」

 【追憶のハイウェイ東北】と題された記事は、震災からおよそ一カ月後、仕事の用事で訪れた宮城県滞在時の日記です。
 あくまで第一に自分自身の「備忘録」として、主観や個人的な感想、あるいは想像を主軸に記述していきます。いくらかパブリック(とされる)なデータも引用するつもりですが、そうした材料の裏取りも絶対保証されたものではありません。滞在中に訪れた場所も、ごくごく限られた地域です。


 2011年3月11日に発生した東日本大震災は、1995年1月17日の阪神淡路大震災と比較され、語られることが多々あります。それについては、日本史上、近しい時代に起きた「国民的大災害」として当然のことと感じます。
 ただし近しい時代に起きた災害とはいえ、16年前の阪神淡路大震災について、写真付きのブログ記事として残されている記録はほぼ見当たりません。だとすればこれからこのブログにアップする文章や写真が、将来どなたかに予期できない心的な負荷や不安を与える可能性も否定し切れません。
 万一、無為に僕の日記をご覧になって不快感や不安感を覚えた場合は、以後の記事をお読みにならぬようお願いします。


 この日記は、第一に東北の惨状や人間の美しさを自分自身が忘れないための「備忘録」としてあります。
 第二に、どなたかが「東京者が見た一カ月後の被災地見聞録」を読んで下さり、東日本大震災と自身の距離感を捉える手掛かりとして好き勝手に解釈して使ってくれることを夢想します。

(編集協力・宮多攻助)

◇◇◇


4/6「ふれあい」




■田町でレンタカーをピックアップ。会社で積荷。今回の出張はとにかく荷物が大量。食料品や電池類。普段出張には持っていかないものを持っていく。


■以後、最終備品の買い出し。コアラ(※上司※以後「コアラ」と記述※おせっかい。俺がこれまでの人生で一番メーワクをかけ、かけられた人)を自宅まで迎えに行き、その後、中目黒のドンキホーテに初めて行った。整理されていて見やすい。


・リップクリーム・イソジン・洗剤など購入。
ハリボー・干し梅・のど飴など車中で頬張る菓子のたぐい。
・狼(※3月入社の新卒※女性※以後「狼」と記述)が免許取得後一年経っていないため若葉マークも購入。
・ミネラルウォーターをさらに買いたかったが、本数制限あり。「家族で一本」しか買えず。我々は家族ではないがなんだか一本しか買えず。


■コアラがご親切に「お前の好きそうな曲焼いてきたよ」とCDを9枚も焼いてきてくれる。


【道中聞いたもの、覚えてるだけ】
神聖かまってちゃん岡村ちゃん・小沢ちゃんと小山田ちゃん=フリッパーズ・初期オリジナルラブ田島貴男ボーカル時代)・高橋幸宏安藤裕子戸川純モーモールルギャバン・電気グル―ヴ・くるりのトリビュート盤から数曲・ミドリ・ムーンライダーズ等々
僕の趣味にかすりもしないのも多々あれど、たしかに長距離の運転、BGMはとても大事。首都高に乗り、いざ東北道を目指す。


■狼は若葉マークだが運転がうまい。交代で運転。(※コアラは免停のまま更新を怠り、免許が無効になって久しい)





■蓮田SAで昼食。チェゴヤがあるとは感激。石焼ビビンパと半冷麺食う。セルフサービス化されているのだが、味はちゃんとチェゴヤの味。


■コアラのおススメで佐野SAでアメリカンドッグを食う。美味しい。地産の牛乳とソーセージを使っているらしい。ソーセージの肉汁がすごい。







■走行中、パトカーの群れに何度か遭遇。
群れのナンバーは広島・山口・岡山とあり、中国地方のパトカーが向かっているのかと3人で憶測したが、やがて愛知・静岡・岐阜、他にも他府県ナンバーが混在し規則性を見失う。とにかくいろんなパトカーが北へ北へと向かっている。


東北道から見えるどこかの橋に「救援ありがとうございます」という横断幕。誰が作ったのか。いつ作ったのか。いま東北自動車道は「救援のための道」として在る。


■やがて福島。東北地方に入ったというだけで運転に妙な緊張。チンサムロードがだんだん増える。ものすごく短い間隔でチンサムロードの応酬がつづく。割れた道路、砂利、盛られたコンクリート。あれから誰かがヒビの入った「救援のための道」を大急ぎで馴らし、今日このレンタカーが走れる道がある。とめどないチンサム、チンサム、チンサム、エンドレスチンサムロード………



■午後6時半頃。長者原SAで最後の休憩。レストランは通常営業。


■ウェイトレスに注文を頼んで横のテーブルを見ると水道局員と思しき男性3人組。腕章には「石狩市」とある。
他のテーブルを見るとほとんどが作業着姿の男性グループ。どうやら日が暮れて作業が終わり、夕飯のピークタイムなのだろう。
やはりどのグループも腕章をしている。「石狩」の向こうに「苫小牧」、その向こうに「小樽」。ここがどこだかわからなくなる。まだ僕たちは本州を越えていないはずだ。ここは宮城県大崎市長者原サービスエリアである。


■それにしてもウェイトレスは過剰にお冷をくれる。誰かが一口飲めばそのテーブルにすぐに駆けつける。石狩に、苫小牧に、小樽に、僕たちに、お冷を持ってすぐに駆けつける。歩きまわる彼女の姿が、さっき見た「救援ありがとうございます」の横断幕とダブる。彼女が仕事を通じて体現できるもてなしが、お冷を注ぐその行為に表象しているような気がしてしまう。


■3月11日午後2時46分、そのウェイトレスはどこにいたのか。ここにいたのか。その時お冷のグラスは、ポットは、テーブルは、皿は、サラダバーは、このレストランはどうなった。あの日と今日では飲み水の意味までもが違う。そんなこと誰も予測できなかった。およそ一カ月経ったいま、客席がほとんど北海道の作業員で埋め尽くされていることも。



■考え過ぎかなと思ってそのへんで想像を膨らませるのをやめる。以前からずっとお冷を注ぎまくっているウェイトレスなのかもしれないし、そういうマニュアルがあるのかもしれないし。



■若柳金成ICで下車。20時、登米(とめ)市に到着。


■係の方の案内でAさんの待つ場所へ。係の方の軽自動車を追走。県道はおだやか。しかし所々コンクリが剥げていてチンサムロードが多少ある。


■Aさんと再会。なんだかAさんと会ってもAさんがそこにいることが信じられない。背の高さ・目の鋭さはそのまま。一気に安心が芽生える。


【聞いたことメモ】
震源地が宮城県沖と知った時・蒼白、焦燥・宮城へ・帰宅していない・あまりに数多の決断・石巻・南三陸・身内のこと・悔恨・希望・葛藤、葛藤、葛藤


■明日以降について、こちらとの簡単な打ち合わせを終えると、人事関係の仕事に長く関わってきたAさんは、まるで面接官のように狼に質問を食らわす。
その会話の中で僕もコアラも初めて知ったのだが、1995年、狼は神戸に住んでいたのだという。小学校低学年であった当時の記憶はあまりないらしいが、通っていた小学校にヒビが入ったのは覚えているという。


■明日、沿岸部をまわるAさんに同行する約束をして散会。栗原市へ向かう。


■東京で片っ端からホテルに電話をかけたが、県内で営業しているホテルはまだ限られており、そんでもってどこもかしこもパンパン。そりゃそうだ。他府県ナンバーのパトカーも、北海道の水道局員も、たくさんの人がいま東北にいる。
この日は栗原市にシングル一室しかとれず。狼だけがそこに泊まる。下剋上反対。逆男女差別反対。僕とコアラはAさんの会社の休憩室に泊まれる用意していただいた。


■僕とコアラを送った後、狼だけ車でホテルへ。僕とコアラは小腹が空いたためチキンラーメンを車から降ろしたが、箸を降ろし忘れ撃沈。


チキンラーメンをあきらめた僕とコアラ、干し梅で口寂しさを凌ぎながら明日からの打ち合わせ。打ち合わせ開始直後、狼から僕とコアラそれぞれに「お疲れさまでした。おやすみなさい」のメール。こいつだけ今日は風呂に入ってすぐさま寝られる環境にある。下剋上&逆男女差別猛反対。


■シラフのまま休憩室で床に就く。眠る間際に若干の余震。体感だと震度3ぐらいのものだろうか。僕が「揺れてますよ」と言うと、すでに半分眠りに落ちたコアラが「揺れてるねー」と言った。揺れはその後感じなかったが、コアラのイビキがうるさくてしばらく眠れなかった。

追憶のハイウェイ61

追憶のハイウェイ61