追憶のハイウェイ東北・「夢の中」

4/10「夢の中」



マツダ・プレマシー、2000cc

田町のマツダレンタカーで借りて

目黒のファミマでおにぎりや飲み物を買って

「悲しみの果て」に来た。



【余震、死者3人に 東北けが283人】
 宮城県震度6強を観測した東日本大震災の余震で、9日新たに仙台市内の80代女性が死亡していたことが分かり、死者は計3人となった。負傷者も増え、宮城県や各県警などによると東北6県で283人。停電は本震による影響を含め岩手、宮城、福島3県の計約22万戸に上り、交通機関の乱れも依然続いている。
 仙台市によると、8日朝に頭を強く打って市立病院に運ばれた女性(84)が死亡した。7日深夜の余震で倒れた家具の間に挟まれたといい、市立病院は地震による死亡と考えられるとしている。
 宮城県によると、県内の建物被害は全壊25棟を含む176棟。塩釜市など4市町で新たに避難所を開設した。
 東北全域で一時400万戸に達した停電は、宮城、岩手両県を除き復旧が進んだ。午後4時現在の停電戸数は宮城約14万7000戸、岩手約4万6000戸で、うち余震の影響は約7万戸という。(...)


河北新報、4月10日)


■まだここに来て5日目だ。なのにだいぶ疲れてしまった。だけどなんでここに暮らす人たちはこんなに気丈なんだろう。初日に感じたその疑問符は、解決できないまま日ごとに巨大さを増していって一切の感情を覆うように頭の中を「?」で埋め尽くす。


■ゆうべ僕はマサコに「俺が彼氏だったら足折ってでも行かせねえ!」と意気んで言った。そんなことをすでに「来てしまった」自分が言っていいのか。マサコに比べ、僕たちの準備や人員が多少万全だったとしても絶対安全の保証なんてあるのだろうか。そんな焦燥感を感じつつもここで暮らしている多くの人がいるのだからよそ者が先に滅入ってはいけない。目的地に着き、昨日コアラが言った通り、とりあえずナビにホテルを打ちこむ。


■狼が「トイレに行って来ていいですか」と聞く。行って来いと言ったら車を出ていく。トイレへ向かう狼の背中を見ながら、昨日コアラに厳命された言葉を思い出す。仕方が無いからシャッターを切った。









■最初の場所で用事を終え、石巻漁港を目指す。





■そこに何があったのかを知らない。しかしその光景を見れば、培ってきた歴史と生きている現在の営みが片っ端から「破壊されつくした」ことが見てとれる。








■宮城についた翌日、さっそく南三陸町を訪れ被災した光景を目の当たりにし、とにかくどんな小さいことでもいいから、具体的な目的をもって行動をしないと危険であると察知した。
見た目ではっきりとわかる被災地域を無目的に歩くこと、3月11日より前、あるいは3月11日にそこで巻き起こったことを無闇に想像してしまうことは個人の精神にとって非常に危険である。
震災後、ラジオなどからしきりにジョン・レノンの『イマジン』を聞く機会が増えたが、現地における鉄則は「ネバー・イマジン」だと感じた。
たしかによその土地にいる人間が、重大な被害を負った地域で暮らす人の不便や喪失を「想像して」何か行動や生き方を選択することはとても大切だ。これは東京に帰って来てなおさらそう感じる。ただし、よその土地から被災地域を訪れた場合、その時点・その場所では「決して何も想像してはいけない」。
2011年3月11日までのバックグラウンドについて想いを巡らすことは、被災地から戻って来た後でもいくらだってできる。
仮に他地域から被災地域を訪れた人間がなんらかの心的異常をきたし、さらにそのことが運悪く報道などされ拡大されて周知された場合、圧倒的にボランティアの数は減るだろう。それは非常にまずい。
想像することが優しさとは限らない。現地では何も想像してはならない。小さなことでもとにかくはっきりとした目的を持って動くべきだ。


■また心的ケアなどについてのド素人であるが、1年前に家が火事で全焼した罹災者の立場から考えると、被災した町の残骸を見てそこにかつて何があったかを想像できる当事者のダメージというのは当然大きい。
「あ〜あ、ここに家が」「あ〜あ、ここに風呂が」「冷蔵庫が」「仏壇が」「居間が」。その「あ〜あ」が多ければ多いほど喪失感が具体性を帯びる。
今回の災害によって、地元や地域全部がそのような残骸と化してしまった方は計り知れないほどいる。
そして今回の状況が非常に深刻なのは(たとえば僕の家が火災によって無くなった際、周りの人たちの同情や優しさが僕たち家族一点に集中したが、)現地では全員が被災者であるということだ。お互い様に大きな被災を負った地域で、自分にとっての「あ〜あ」を吐露できる相手はなかなかいない。
また何かを失った後には、感傷にひたる間もなく保険や戸籍などについての膨大なペーパーワークがつきまとう。
狼が避難所で多くの人におのずと話しかけられていたように、そうした話を聞く役にまわるだけでも、他地域の人間が被災地を訪れる意義はすでに十分あると思う。






■7日に会って以来、用事があってCさんの所へ。震災前にデジカメで撮っていたという写真を見せてもらう。


■パソコンでその写真を見ながら説明をいただく。プロパティを表示させ、その記録日時を確認する。やがて写真を見ていくにつれ、何枚かの写真の記録日時が「3月11日14時46分」とあった。


■その写真を撮影したカメラをお借りし、僕が携帯で時報を聞きながら合図を出して狼に撮影をさせる。計算してみるとそのカメラの時計設定は最大30秒ほどしかずれていない。


■ただ単にデジカメで仕事場を撮影していた日常と地続きに、大きく長い揺れはきて、町が津波に呑まれた。


■Cさんとの用事を終えて、車で日和山公園に向かう。Bさんに石巻の沿岸部が一望できる公園と聞いた。勾配のはげしい坂のてっぺんにその公園はある。


ボ・ガンボス「夢の中」>



■日も暮れかけた頃だが、公園には多くの人がいた。カメラを向ける人も多い。夫に向かって大きな声で悲嘆の気持ちを表現する女性。ベンチに座り、ただ無言でその景色を眺める初老の男性。


■東京でも、震災が起きてからいろんなことが変わった。僕の身の周りだけを見ても、様々な案件の納品スケジュールがガタガタになり再編集の必要が発生した。横にいる狼の大学卒業式は中止になった。
理不尽と思えてならなかったそうした不測事態の理由が、この景色を見ればわからないでもない。すんなりと腑におちる。











日和山公園からホテルを目指す。何の会話も出てこない。




■ホテルの近く、狼が空いている中華屋を発見する。入ってみれば家族経営らしき、すごくいい感じの中華屋さん。電気や水道が回復したとはいえ、どの飲食店も営業時間が限られている。内陸部とはいえ夕飯のとれる店を探すのはそう容易ではない。


■まずは餃子が運ばれてくる。
一口、口に入れると……体が震える。なんじゃこりゃあ、である。超オーソドックスな餃子が食道から胃へ送られていく道程がはっきりとわかる。なんじゃこりゃあ、である。
狼を見ると……口元をおさえて涙ぐんでいる!


■久しぶりに満足のいくゴハンをたらふく食った気がした。


■一服してそろそろ店を出ようとすると、店のアナログテレビでニュース速報が流れた。今回の被災を「天罰」と呼んだ方が都知事選にて当確とのこと。


ソウルフラワーユニオン「NOと言える男」>


NOと言える男
太陽の季節に生まれた
NOと言える男
弟のアニでござります
NOと言える男
いじわるばあさんの後釜
NOと言える男
勝ち目のあるケンカだけする
(...)


NOと言える男
世間知らずのボンだから
NOと言える男
小物らしく弱者を叩く
NOと言える男
神の国ならボスだけど
NOと言える男
腐った男のなれの果て

ソウルフラワーユニオン『NOと言える男』 作詞:Takashi Nakagawa)


■餃子泣きを終えた狼が、
「都民はバカですねー」と涼しい顔で言いながらお会計を済ませていく。


■ホテルのロビーにあるトイレで用を足しながら、目線より少し高いところにある額縁に気がつく。

■あいだみつをを読んで泣きそうになる。

疲れたんだもの。