追憶のハイウェイ東北・「ガストロンジャー」

4/7「ガストロンジャー」


■起床。コアラと僕はそれぞれ休憩室で歯磨き。この施設は給湯器もあり、温かいお湯で洗顔できた。一服するとやがて狼がレンタカーでやって来た。


■Aさんとも合流。登米での用事が終わってから、まずは南三陸町へ向かう。


南三陸町まではコアラがAさんの助手席に座り、その軽自動車を狼と僕が追走。運転は狼、僕は助手席から車窓を記録する。


■去年の9月、僕は南三陸町志津川港から船に同乗させてもらい、養殖のホタテなどが獲れる漁の現場を見せてもらった。
猛暑の影響で海は生ぬるく、多くの漁業者が漁場の異変を憂いていた。
「9月でこんな温かいの初めてだぁ。‘プール’っつって呼んでんだよ」
そう言われて海に手を突っ込むと、たしかに泳げなくもない、まだ少しぬるい太平洋が掌を包んだ。


■それでも海に連れて行ってもらった明け方はすさまじい豪雨で、ウィンドブレーカーを着ていてもまるで無駄。雨水がじかに肌に触れてくるようで、風もつよく震えが止まらなかった。
僕が着ていたモンベルのウィンドブレーカーを見て漁業者の人たちは
「それ山の服だっぺ!海の服着てきてもらわないと困るっちゃ!」と笑った。


■ずぶ濡れの僕が港に戻るとAさんが自身の大きなセダンで迎えに来てくれた。その後すぐに行かねばならない所があったのだが、「一旦ホテルに帰ってシャワーを浴びて来い」という。
「大丈夫ですよ」とやせ我慢で返すと
「KYMさん、震えてるよ。風邪ひかれても困るし後のスケジュールはこっちで調整するからホテルでシャワー浴びて来い」と恐い顔で返された。
僕が座ったものでAさんのセダンの助手席はびしょびしょになり、罪悪感を覚えながらあまりにも無策だった自分を恥じ、登米市のホテルに戻ってシャワーを浴びた。湯船に浸かりながら気を失うように1時間ほど寝た。


■いま目の前を、Aさんの運転する黄色いナンバープレートが南三陸町へと向かっている。震災以来、Aさんは軽自動車で県内を毎日まわっているのだという。


■狼と僕はAさんの軽自動車を追いながら、やがて「ようこそ南三陸町へ」の看板を過ぎる。ナビを見るとまだ海まではしばらくありそうだ。


■しかし唐突にその景色は現れた。道路を挟んで両側のガードレールの向こう、見渡す限り破壊された町の残骸が広がっている。


■荒野。荒野。荒野。その光景は僕たちを動揺させる。ここで何が起きたのかがすでにわからない。まず自らの目を疑い、窓を開けて撮影をしながら入ってくる土埃の匂いを吸って、やはりこれは現実なのだと認識する。


■壊された営みを何も想像することができず、ただひたすらおののくことしかできなかった。交通整理の警官、工事関係者、住民もいるだろうか。その景色に用がある人たちが、信じがたい現実の中に、いる。



志津川駅の付近で停車。車を降りる。あそこに駅があった、ここに店があった、あそこにパチンコ屋が、役場が、ガソリンスタンドが……。何も想像できない。


■このあたりから自覚的にデジカメで撮影をしはじめる。


■線路が切断されて、ぐにゃっと曲がっている。ごろごろ船が転がっている。つぶれた車が落ちている。道の右側にあった車のディーラーが、道の左側に流されたと聞く。すべて「水」がやったことだ。わからない。わからない。わからない。




■2つの避難所へ行った。南三陸ではベースとなる最大の避難所をのぞき、インフラが止まったままの避難所が数多くある。


■3月11日から延々と不安と恐怖の塊のような時事ニュースが飛び交い、東京ですぐに僕は自分が疲れていることに気付いた。誰も彼もが疲れていた。東京にいて、普通に生活すること・仕事することが、文字通り「ストレスフル」のきわみだった。
だが次第に状況は妥協しながらも回復していき、依然とは少し違う生活にもあっという間に馴化した。
3月11日から今日まで、だいぶ長い日々が過ぎたようた気もしている。自分の住んでいる地域が計画停電のエリアに含まれているかどうかを会社のみんなで騒いだことなど、すごい昔の話のようだ。


■だが、あの日以来ずっと電気が止まり、水が止まり、戻る住まいもままならず、行方不明の家族や愛おしい誰かを想いながら続けられてきた暮らしというのが、この土地には無数にある。地震が起きて以後、どうにかこうにか家族や誰か大事な人と再会することができてこみあげた安堵。その安堵を得ることなく暮らし続けている人が無数にいる。


■出発前、宮田が僕に詩をくれた。



When You're Lost


When you're lost and discouraged, stop and look ahead,
and imagine yourself as one of those trees by the road.
The sunbeam feels so precious since it snowed
in the morning, and the breeze propels you to shed


clear drops of water. I know you've got a hole
in the middle of your chest, where a squirrel sleeps
at night, among a hundred nuts he keeps
for cold and difficult times. A few of them roll


out every day, to be awakened in spring
by earth's breath. At the moment, a local jay
alights to pick one up and flies away
in the direction of sorrow and love. Now sing


in her voice and listen to the trees and snow,
and in a minute you'll be good to go.





もしも道に迷ったら


方角も歩む勇気も見失った時は、足を止め先を眺めて
自分をあの道ばたの木の一つだと想像してごらん。
朝は雪が降っていたから、射し込む陽の光は
ひどく嬉しく感じられ、そよ風に揺られてお前は


透き通った雫をこぼす。胸の真ん中に開いたその
穴のこともわかってる――そこでは夜のあいだ
一匹の栗鼠が、寒く辛い時のために集めた
無数のドングリと眠る。ドングリの一部は日ごとに


外へ転がり落ちて、春に土の息吹が
起こしてくれるのを待つ。今は辺りのカケスが一羽
地面に降り立ち、一粒のドングリをくわえ
悲しみと愛の方へ飛んで行くだけ。あいつの


あの声で歌い、木々と雪とに耳を澄ましてごらん、
少ししたらまた歩き出せるようになるから。




■僕はAさんの助手席に同乗し南三陸から石巻へと向かう。高台から水平線が見えた。
「見ろよあの海。穏やかだろ。あれが全部ぶっ壊したなんて信じられねえだろ。ふざけてるよなぁ」
相応しい形容ではないが、自嘲気味にAさんがそう言う。


■内陸の田んぼや畑は、一見まるで被害がないように見えるが塩水をかぶってしまい再生困難なものも多いのだという(こうした被害一般を「塩害」と呼ぶ)。視覚では捉えられない絶望がかしこに在る。


■Aさんの助手席に乗せてもらったまま石巻市へ。今回の震災で人口の変動は少なからずあろうが、宮城県内では仙台に次いで第二位の人口を擁する都市だ。


■途中、国道沿いにはあらゆる場所に多くのゴミの山が溜められている。大型の店舗やチェーン店など、いかにもよくある郊外のメインストリートなのだが、開いている店はまだ少ない。


石巻に着き、Bさんと再会。去年の9月、志津川港から僕をホタテ漁に同伴させてくれたその人は、上下黒い服を着ていた。スーツではないが喪服なのだろう。
「Aさんが会わせたい人がいるっつったから、誰かなっておもったけどこのメンバーなんじゃねえかなっておもったんだ!」
だいぶ痩せたBさんが僕とコアラを見つけて大きな声で笑った。


■コアラが「お前とBさんで打ち合わせしとけ」といって、Bさんと二人、休憩室へ残された。
地震の後、まず災害伝言板で番号を入力したのがAさんとBさんだった。Aさんの番号はすぐに見つかったけれど、Bさんの番号はなく、その安否が今日の今まで心配だった。いま目の前にBさんがいる。痩せてはいるけどビシビシに訛りを利かせて明るく喋るBさんがいる。


○3月11日午後2時46分、Bさんは仙台にいた。揺れがおさまり「とにかく高速に乗ろう」と決意したらしい。交通規制がかかる直前、なんとか高速に乗ったもののすでに道路は大渋滞であった。


○自宅のある東松島市に着いたもののすでに町中ははげしく水が浸入してきており、自宅から約3キロの所で車を降りた。水位は首のあたりまできていたという。
記録を見ると14時の時点で東松島市に隣接する石巻市の気温は4.6度(※気象庁の記録では、ほぼ時間刻みで毎日温度計測がなされているはずだが、3月11日14時以後の記録は残っていない)。日暮れを過ぎて、これ以上気温が上がったとは考えづらい。ちなみにこの日、朝7時の時点で石巻はマイナス1.9度である。


○凍えるような水に首の下からつま先までどっぷりと浸かり、Bさんは3キロの家路を歩いた。「そこに家があるんだからよぉ、しょうがないっぺ」。
3キロの道程を歩く途中、思い出すことのつらい光景をいくつも目にしたという。


○2階建ての家は軒先にステップがあるものの1階部分は著しい浸水。やがて保険会社より「全壊」の認定が降りることになるその家の2階で、Bさん一家はなんとか全員揃ったが「寒過ぎて眠れなかった」という。


○とにかくしばらくは食べる物がロクになかったそうだ。Bさんは「震災から2週間は地獄」と大きな声で何度も言う。ほぼ4週間しか経っていない今、数週間前の地獄を笑えるから人間はタフだ。


■手帳を読み返してみると、おそらく3月16日、僕は自転車で原宿に行ったが、あまりの寒さに耐えられず、帰り道、手袋を買った。たしか全国的に一気に冷え込むという天気予報が出され、一緒にいた後輩と「東北はすげえ寒いんだろうなぁ」と悲しいまでに脆弱な想像力で、何の足しにもならない言葉をはいた。


■「そこに家があるから」。ただその理由だけで冷水に首からどっぷりと浸かったまま、3キロの道程を人は歩くことができるのだろうか。ましてや3月上旬の東北沿岸部だ。歩いた人が目の前にいる。それでも誰か―――たとえば自分と置き換えたり想像することがまるでできない。



■明日の約束をしてBさんと散会。同じく石巻で別の人(Cさん)と会う。


○Cさんは海から2キロの地点で震災に遭った。周りに高い建造物があまりない駐車場に避難し様子をうかがっていたという。


○やがて道路にジワジワと水が溜まり始めた。当初、水道管か何かの不具合や液状化を推測したという。(※後日追記)そこでようやく津波によって押し流された海水がここにまで及んできていることを察知する。


○慌てて車で内陸部の自宅まで逃げ帰り、再びその場所を訪れたのが2日後。海から2キロ離れたその地域は、およそ1メートルの水位まで浸水しており、自衛隊のボートが救助活動している様子をやや隆起した場所から遠巻きに眺めることがやっとできただけだという。


■Cさん、そしてAさんとも散会。今日は僕もコアラも狼も栗原市のホテルに宿泊する。石巻から車で栗原へ。


■今日だけで僕たち三人は様々なカルチャーショックを感じまくった。
車内、「まだ地震から一カ月も経ってないのになんであんなに元気なのかがわからない」と僕が言えば二人とも激しく同意する。
同意した後、コアラが言った。
「だけどなKYM、俺だってお前の家が燃えて見舞いに行った時、お前のお母さんがなんであんなに元気なのかなって思ったんだよ」
いかにもな風でコアラは言うが、それは母の異常な人間性に由来しているような気がするし、言われてみれば確かに通ずるものがあるのかもしれないと思う。






栗原市に着いても開店している店は少なく、品薄のコンビニで夕飯として明太子スパゲッティやチキン・缶ビールを購入。


■宿泊するホテルはユースホテルのようなたたずまい。駐車場にはおそらくボランティア団体のものとおもわれるバンなどが停まっている。宿の確保は狼に丸投げしていてどんなホテルだか不安だったが、新しくて清潔でなかなかいい感じじゃないか。


■部屋で三人、コンビニご飯を食べながら明日以降の打ち合わせ。打ち合わせというよりも今日感じた様々なことを喋りあいながらお互いに散らしていく。


■打ち合わせもほぼ終わり、ホテルの入口にあるベンチでタバコを吸いながら宮田に電話。


【その電話で宮田に話したこと、覚えてるだけ】
・まだ誰も今回の被災を客観的に評論すべきではない気がする・おそらく世代があと一回りぐらいしてやっと語ることができるような気がする・今回の災害は、自然による「人間破壊」なんであってエコロジーは超不毛・あんな奴ら(自然)と共生なんかできないよしばらくは...
などの会話をした矢先だった。


■ずずず、ずずず、と地面が揺れ出したのを感じた。ずずず、ずずず、ずずず、という明らかな揺れが加速していき「後でかけ直す」と言ってあわてて電話を切る。
すると町中が音を立てて激しく揺れ出し、すぐに立っていることもままならなくなった。やむをえず四つん這いになるが、腕が地面についていられない。ヒジが折れる。
四つん這いになった目の前、電柱が、建物が、振り返ればホテルが、はっきりと揺れている。揺れは長く続き途中で町中の灯りが一斉に消えた。
真っ暗な中、立ち上がりホテルを見ると先ほど電話をしていた場所にあった植木が倒れている。
コアラと狼は部屋にいる。ホテルの中に入り、非常階段を駆け上って部屋のある三階を目指す。
それぞれのフロアに非常灯がともり、マンガなどが並べられていた本棚が倒れている。


■部屋に入ると靴を履いている最中のコアラから無言でカメラを渡される。他の客もそれぞれ一斉に一階に降りていく。(その時は気付かなかったが、テープには恐さからか僕の激しい息切れが記録されていた。)


■ホテルの入口前に出て、車のキーを部屋に置いてきたことに気づき、狼の部屋に向かう。部屋に行くが、テーブルに置いていたというキーが見つからない。部屋は意外と整然としているのだがキーがない。テーブルをまさぐると、アメニティのコップが開封されていないまま粉々に割れている。鳥肌がたった。


■キーを探していたが「全員表に避難してください」とホテルのスタッフに呼びかけられた。あきらめてホテル前に避難し、客全員が点呼をとられる。ガス漏れの心配があり、やがて全員フロントで待機。


■フロントにてコアラがiPadYahoo!ニュースを見る。
「一番つよいとこで震度6強だってよ。宮城県栗原市。……ん?ここじゃねえか」


地震発生時、キャスターが言う「テレビやラジオはつけたままにしてください」という呼びかけは、過度な被害に遭った地域には届かない。何せ電気も何もかも止まってしまうのだから。


■安全が確認され、それぞれの客がフロントから部屋に戻る。真っ暗な部屋で僕たちは途方に暮れる。持ってきただけの懐中電灯をつけても、暗い。ここは内陸部だが、窓の外から津波警報のサイレンが聞こえる。
真っ暗な町。やまないサイレン。これは歴史ではない。現在だ。2011年4月7日。最大余震。戒厳令の夜


エレファントカシマシ『ガストロンジャー』>



4月7日午後11時32分発生の地震の詳細
04月08日 07時00分 現在
情報発表時刻 2011年04月07日 23時46分
発生時刻 2011年04月07日 23時32分ごろ
震源宮城県
緯度/経度 北緯38.2度/東経142度
深さ 40km
規模 マグニチュード 7.4



 宮城県北部と中部で震度6強を観測した7日夜の地震で、宮城などの東北各県は8日、被災地への高速道路など交通インフラの被害状況の確認を急ぐ。
 各県によると、津波に関連する被害の報告はない。東北電力によると、8日午前0時現在、青森、岩手、秋田の各県全域で、宮城、山形、福島各県では一部で、計約364万世帯が停電。
 各県ではけが人がいるとの通報が相次いだ。宮城県警によると、仙台市などでガス漏れや火災などの110番が十数件あった。同県内の高速道路はすべて通行止めとなった。

河北新報、4月8日)