別の感情 (2/3)

【サイヤクの宴】sideB-3

 「ごめんね」をさんざん繰り返しながら、やがてすぐにその言葉の対象を見失う。
 生きて言葉を発せる俺と、焦げた沈黙のお前と(そもそもお前は言葉を知らないはずだし)、その対置にふと気づき、俺の言う「ごめんね」は空々しいギマンだと、おためごかしだと、謝るべきことの本質とは、お前を死なせながら生きている俺の存在なんだということにはたと気づき、「ごめんね」を繰り返すことをやめる。
 そうしたら段ボールに入っているチッタが、チッタが入っているのが狭い段ボールだということが不憫に見えてならなくて、近所に住むカメラマンのカツヤマさんに電話をかける。「何か棺になるようなものを持ってきてくれませんか」。
 前に一度、チッタを連れてカツヤマさんが彼女と暮らす部屋に遊びに行った。カツヤマさんと彼女の部屋にはトイプードルのモコちゃんがいて、マイペースで部屋を徘徊するチッタに向かって、モコちゃんは大ジャンプで友情を表現してくれた。
 すぐにカツヤマさんは、無印の収納ケースに白い花を敷きつめて町内会館に現われた。屈強なカツヤマさんの表情が色を欠いている。
 犬好きの人間に、今のチッタを見せるのはためらわれる。「気にすんなよ」とカツヤマさんは段ボールからチッタを移すのを手伝ってくれたが、ケースが小さくてチッタは収まらなかった。
「思ったよりチッタって大きかったんだな」
それでもカツヤマさんの持ってきてくれた花びらを段ボールに敷きつめれば、何か優しさの彩りが加わった。
 その日の夜、チッタの横に座布団とふとんを敷き、段ボールに手を突っ込んで、ぷにぷにしたチッタの腿の付け根を触りながら寝た。少し冷たいけれど、その感触はチッタだった。

 翌日、セリがペットのお墓や葬儀場をネットでいろいろと調べてきてくれた。何件か電話をして、大森にあるペット霊場に火葬をお願いすることになった。
 火事以来、セリは何日か連続で、僕ら家族が暮らす町内会館に来てくれていたのだけれど、会社にはどのような断りを申し出て休みをとっていたのだろうか。あの時は何かと不安で、セリの優しさのままに甘えながらいろいろとお願いしてしまったのだが、面倒な調整を図る必要も多分にあったのだろう。
 ある程度大きい会社の仕組みというものを知らないが、「友達の家が焼けちゃったんで休みます」というのが欠勤の理由に足りるのかどうか。足りるわけがない。
 大きい会社に勤めたことがない分、有給休暇とかの使い方もイマイチわからないけれど、あの時集まってくれた仲間は皆、会社のどんな眼差しを浴びながら、僕ら家族を手伝い、励ましに来てくれたのだろうか。
 会社とは限らない。学業やバイトや恋人や約束や。何か大事なことをほっぽらかしにして来てくれていた、あの冬。まともに考えると恐縮した体がこわばっていって、ありがとうを発するための息継ぎをするのも困難だ。
 チッタの命を救ってやることもできなかった僕たち家族のために、どうしてそこまでする義理があった?
 野暮か。
 よそう。
 稀な仲間の巨大な優しさに対して、こんな拗ねた問いかけは野暮だ。
 ある程度大きい会社の仕組みというものをよく知らないが、たとえば日常の中で飼っていたペットが亡くなった際、そこに公的な休みというのは発生しうるものなのだろうか。
 忌引きのような概念が(ペットが亡くなるということは当事者にとって家族の死に他ならないのだけれど)当てはめられて、公休(みたいなもの)が適用されることはあるのだろうか。
 会社に対して、
「犬が亡くなったんで休ませてください」。
これは言える気がする。
「猫が亡くなったんで休ませてください」。
これも言えそうだ。
 じゃあウサギだと……………ちょっと自信がない。
 モルモットなら言えるか?フェレットなら?亀だったらどうだ?カタツムリだったら言えないだろ?じゃあカブトムシは?タランチュアの時はどうする?ネオンテトラは?メダカは?
 メダカよりも犬の命のほうが尊い。そんなわけないだろう。そんな優劣を、愛し、共に生きたペットに付けたくないだろう。ならばなぜ言えない。何が恥ずかしい。愛した生き物が死んで力が出ないなら、働ける心を取り戻せるまで休めばいいじゃないか。
 だけど何か曖昧な恥ずかしさ―――世間体だろうか――がためらいを招く。生活を共にしたペットと結ばれていた「イコールの幻想」が、死んだ途端、瓦解していく。それは―――ペットの死とは、公の場に持ち出しづらい、きわめてアンニュイの領域だ。

 ***

 葬儀の日、昼間から何人か友人が手伝いに来てくれていて、図々しいのだけれど家族3人だけじゃとても乗り越えられそうにないから、お願いして葬式に同行してもらうことになった。
 火葬の前、棺にみんなで花びらを敷けるよう近所の花屋まで花を買いにいったが、花屋はすべてタダにしてくれた。
「チッタちゃんのでしょ、お代はいいですよ」
この町では俺よりチッタのほうが有名だ。
 花屋から戻るとまもなく、葬儀場のスタッフが町内会館までワンボックスカーで迎えに来てくれた。
 車が発進する。まだまだこの町を歩きたかったに違いない。「ごめんね」とまた言いそうになるが、友人たちの手前、世間体が作動してそれが言えない。