完璧な家族、集合の合図

【サイヤクの宴】sideB-2


 兄妹というものがいたことがないから、いた場合の不便や鬱屈を知らない。だから僕にとって兄妹というのは永遠のないものねだりだ。
 7年前、僕が入院していた頃、面会に来た両親と病棟の中庭で昼飯を食べながら、つくづく自分の家族が‘3人組’であることを実感した。そして、家族として‘3人組’というのはなんだかとても‘足りていない’のだ、というようなことをおもった。
 買ってきてくれたピザだかケンタッキーだかを中庭で食いあさりながら、あー、ここに兄か姉か弟か妹かでもいて、ビョーキになっちゃった兄弟にオトンもオカンも参っちゃってるあまりにも空疎な白っちゃけた雰囲気を茶化すような役を買ってでてくれないだろうか、あー、あー、いー、あー、兄か姉か弟か妹が欲しくて欲しくてたまらない、もうホント欲しくて欲しくてたまらない。とつよく渇望したのをおぼえている。

 罹災してからの6日間、‘3人組’は町内会館で寝食をすごした。
 普段、祭事や葬祭などで使うその会館は3人にとってあまりに広く、それぞれがかなり贅沢なスペースをとって、支給された赤十字の毛布を枕・敷布団・掛け布団に使って寝た。
 朝目が覚めると、その日やらなきゃいけないおぞましいまでのペーパーワークや役所・銀行回り、消防や警察との確認事項などが山積みでほとんど嫌気がさしたが、火事から日が経つにつれて、親戚が、仲間が、どしどし、どしどしどし、町内会館まで駆けつけてくれた。
 おもえば焼けた家の玄関はあまりにも狭く、子供の頃からそれがどこかコンプレックスだった。5足も置けば満杯の玄関に、ただでさえ‘3人組’の靴靴靴靴靴が山積しているものだから、それを友人に見られるのが恥ずかしかったし友人の靴の置き場もままならなかった。
 だけど町内会館の玄関は十分に広く、そこに徐々に友達の靴が溜まっていく。溜まっていく靴は壮観で、それを眺めれば充足感がものすごくあった。

 訪れた友人たちはホームセンターで手配したヘルメットにマスク・スコップを装備し、まるでタイマーズのゼリーの態で焼け跡の発掘作業にあたってくれた。
 僕がしつこくギター!ギター!と言うもんだからゼリー達は日が暮れるまでギター保護を主眼に発掘作業をつづけてくれたが、結局黒焦げのボディやネックが出てくるだけでとても使える代物ではなかった。
 だけどゼリー達によっておもいもよらない写真や手紙、どうでもいいモノからすっかり忘れていたけどどうでもよくないモノまで、いろいろ出てきた。
 火事が起こったことによって、我が家にあったモノは多分次の4つに大別される。

1・焼けたことでさらに箔がついたモノ
2・焼けたことが残念でならないモノ
3・焼けてくれただけ捨てる手間が省けたモノ
4・焼けて無くなったことすら思い出せないモノ

 1にあたる溶けたマーヴィンゲイのCDやほぼ全てのページが朽ち焦げた『火の鳥』などが発掘されると僕とゼリー達は不謹慎にも盛り上がった。あとたけしの座頭市のパンフレットなんかも燃えてことさらいい感じになった。
 発掘されたさまざまなモノの中でも、受験を控えた八さんの娘さん用に録音した音源のSDカードがでてきた時は感動的だった。レコーダーは溶けて溶けてもうどうしようもなかったけれど、内包されていたSDカードは無事だった。後日それをCDに焼いて受験前に八さんの娘さんになんとか渡すことができた。
 だが時間が過ぎた今おもうのは、火事がもたらした悲しみや喪失感とは「あれが燃えた」「これが燃えた」という細かなモノの焼失による類いのものではない。燃えてなくなったどうでもいいモノ・どうでもよくないモノ、それらあらゆるディティールが混濁して出来上がっていた‘平穏’が突如失われた、そして家が燃えるまでそんな当たり前の‘平穏’に気づけずにいた自分に対して向けられる類いの悲しみだ。
 無くなってからその重大性に気付いた自分が虚しくてたまらない。二度とそれに出会えないのだから悲しくて仕方がない。あれだけ恥ずかしかった玄関もいとおしくて仕方がない。とりとめもなく愚かしい、未練とも呼べない未練がトグロを巻いて心を覆った。

 当然焼けた家に灯りはなく、日が暮れればゼリー達の作業は終了になった。
 みんな洋服を真っ黒に汚しまくって、きっと鼻毛まで真っ黒にして、その日の戦利品を片手に、とりあえず‘基地’である町内会館へと一緒に戻る。
 町内会館のドアを開けると、そこでは時系列も無茶苦茶に、床一面にバラ撒かれた無数ともいえる写真を、従姉妹が、伯父が、叔母が、女友達が、母が、会社の後輩が、拭いていた。
 子を授かる以前のオトンとオカンも、行方も知らない古い友人たちも、いつか死んだ祖父や曾祖母や祖母や犬も、いつか行った日本のどこかも、黄色い帽子の俺も学ランの俺も、あまりにフラットに拭かれていた。
 狭い部屋で日曜日が黄昏ていくのを感じながら、どうしようもなく兄か姉か弟か妹を欲しがっている子供の写真も、たしかに今、ここで拭かれている。
 その光景は立ちくらむほど奇妙で、2010年1月の現実とはとてもおもえなかった。その集まりは、ものすごく‘足りている’完璧な家族のように見えたりもしたが「これは災厄がもたらしたかりそめだよ」とすかさず何かがつっこんだ。