「おもったより長いね」

 いま作っているおもちゃのVTRで、「1980」から「2009」までの西暦を早送りで一気に見せることになった。突貫工事のVTRなので潤沢な予算があるわけでもなく、エディターを呼べるわけでもない。撮影以降の全行程を自分でやらねばならないため、アニメーションソフトが使えない僕は、せっせせっせと「1980」から「2009」までのテロップを打って順番に並べて、早送りのタイミングを見て気持ち悪ければ直して、という作業の繰り返しだ。
 あらかじめ発注者にはコンテを提出しているのだが、試写で見てもらったら「おもったより長いね」と言われた。
 真っ黒の背景にうっすらと「1980」が浮かび、やがて西暦の文字が加速しながら大きくなって「2009」に到達して文字が光る。そのくだりが長いのだ。
 当然だが「1980」から「2009」までをテロップで作っていけば、トータルで30枚になる。最初と最後はたっぷり見せたとしても1980年代中盤から2009年の手前までは、それぞれの西暦文字を1秒も見せていない。半秒、あるいは3分の1秒以下のデュレーションだ。だがそれを紡ぎ並べたものについての鑑賞者の印象は、「おもったより長」かったのだ。
 1980年度の終わりに生まれた人間もここ最近、10年単位で誰かと自分の関係を考える機会が増えてきた。祖父ちゃんの10回目の命日があったり、高校の頃から10年つきあっていたカップルが結婚をしたり、学生時代のバイト先の人と10年ぶりに街でばったり再会したり、大学に入学したのもおよそ10年前だ。
 主観での歳月の流れは、入院をしていた二ヶ月間を除けばおそろしく早い。そしてそれはここ10年で出会った他者に恵まれていたこと・毎日さんざん会話をするべき誰かが存在していたことに他ならない。せいぜい大体の待ち合わせに遅刻する僕なんかには、時間を潰す必要などなかった。潰すべき時間は山のようにあったのだろうが、潰すという感覚でなしに過ごした。
 だが「1980」から「2009」までの西暦文字をシーケンスに一列に並べて、それを目視できないほどの速度で進めていっても、客観では確かに「長い」と映る。30枚の文字という具象を目の当たりにしてみれば、過ぎた年号の量は予想外に多く重厚で、はっきりと長いのだ。
 そういえば10年前、祖父ちゃんが亡くなった折、これからは毎日線香をあげようと決意したが、それを辞めてしまったのはいつだったか。線香をあげる習慣はたったの数カ月だったはずだ。それだけの月日がすでに孫として面倒と感じられるだけの長さとして十分だったのだろう。だが「49」日かけて川を渡った祖父ちゃんが、「108」の煩悩をただの一個も捨てられず、そそくさと習慣を放棄した孫の怠惰を受容するに足りるデュレーションだったとはとてもおもえない。
 故人を偲ぶ身内の客観はあっとういう間に時間の長さを憂い生の喜びを再発見するが、たとえ時間を超越した永遠の場所に旅立ったにせよ祖父ちゃんという「線香の時間」の主客にとっては、孫の初志不貫徹はあっという間だったはずだ。
 この10年間でエコロジースローライフは、完全に企業や代理店のものとなった。そのことについてものすごく違和感と悔しさがある。ごく一部の富裕層だけが「ゆったりとした豊かな生活」を享受することができるような仕組みが、いつの間にか作られてしまった。
 30年後、「2010」から「2039」までの文字テロップを打って並べて、早送りで再生した時、一枚一枚の各西暦について噛みしめられるほどの思い出を持ち合わせていられるのは僕たちではなく、優雅な金と時間を「スロー」に使って暮らしている金持ちたちだ。こちらが「あっという間」という感覚でいても彼らは「おもったより長い」と感じるだろう。どちらが真実なのか現実なのか、どちらが幸福なのか、それは誰にもわからない。判断できる者がいるのだとしたら、それぞれの時間の長さを持っている主客だけだ。
 先日、撮影が早く終わって会社の後輩と昼飯を食っていたら唐突に「グル―ヴってなんですか?」と聞かれた。口に入れていた餃子を噴出にしそうになるぐらい不意の質問で脳天が一気に熱くなったが、どうやら後輩は映像作りのコツを喩えた誰かによって初めて「グル―ヴ」という言葉に関心を抱いたらしい。
 「なんですか?」と問われてもっとも戸惑う言葉の1つだし、グル―ヴとはおそろしく定義ができない何かのはずである。言葉にしてしまった途端、それが消滅してしまいそうな畏怖がある。
 結局、「臨場感」や「一体感」などの言葉をいろいろ並べながら極端につまらない説明になってしまったけれど後輩は納得してくれた。それが映像作りのコツとリンクを張れたならよかったけど、やっぱり回答した自分の語彙はありきたりでつまらなかった。グル―ヴなるものを、ものすごい狭い小屋に閉じ込めてしまった気がしてならない。
 一人になった電車の中で、グル―ヴについてなんと説明したらよかったか、逡巡を続けたが、どうしてもやっぱりわからなかった。誰がどう見ても長い時間グル―ヴと向き合っているミックやキースならどう説明したか。なんか一発クールな単語でキマるグル―ヴについての語彙を持ち合わせているのではないか。それともグル―ヴを定義することをあっさりと否定するだろうか。
 僕は「1980」から「2009」までの間、何度言葉にして掴めるほどのグル―ヴに邂逅できたのだろう。やっぱり生まれてから今まではおもったよりも短く、世界は絶望的なまでにワカラナイことだらけで埋め尽くされている。