君の声、僕の耳

 会社からの帰り道、左の眼と右の眼がまるで斜視にでもなったかのようにチグハグした感じをおぼえ、さらに耳に聞こえる音も「池」を介してから聴覚に届くような気持ち悪さがあった。
 そんなことが1月の初めから二週間もつづいた。
 度数を変えたばかりのコンタクトが合っていないのか、とか、以前使っていたイヤホンが壊れて新しいのを買ったのだけどケチって安いのを買ったから耳にあわないのか、とか色々勘ぐったが、どうもそうではなかった。
 「目」や「耳」にきたした変調。それは間違いなく、日々の仕事と、自分の意欲や欲望との「ギャップがもたらしたツケ」だった。
 会社までの行きと帰り、音楽を聞く習慣があるのだが、「耳」が苦手とする声(ボーカル)には傾向があった。
 「耳」が苦手としたのは、「音楽全体の前景にくるような声色のボーカル」だった。そういうトーンのボーカルは好きだから、僕のiPodにはたくさん入っている。
 たとえばボブ・ディランであり、ジョニー・サンダースであり、ジャック・ホワイトであり、高田渡であり、友部正人であり、阿部芙蓉美であり、星野源だ。
 その人たちの声は、音楽の中で「前に現れて」聞こえる。
 鼓膜やこめかみらへんよりも、上のほう、オデコのほうで聞いている感じがする。そうした人たちの歌声には、言葉に霊を宿らせようとする意志を感じる。
 変調をきたした「耳」は、「前景系のボーカル」を特に嫌がるのだった。帰り道でそうしたボーカルを聞いていると、どんどん斜視が進行して、聴覚がかい離していって、このまま聞き続けたら気が狂うかのようだった。
 気が狂いそう。
 「前景系」の中でも、ことさら甲本ヒロトの声は変調を刺激した。
 


 友人と歩いている途中、斉藤和義の『幸福な朝食、退屈な夕食』を口ずさんでいたら「その歌はうたわないほうがいい」と注意された。
 ある作家が、その歌を聞いてから会社に退職届けを提出したのだという。
「そんな歌うたってると、仕事辞めたくなっちゃうよ」
 それから僕はその歌を口ずさむのを止した。



 年が明けてから、「変な覚醒感」につきまとわれている感じがつづいていた。
 たしかに「今年はちゃんと感じよう」と思ったのだ。このままでは感覚が奪われていく。だから「今年はちゃんと感じよう」。そうやって決意して新年を迎えた。
 去年の秋口から感覚が擦り切れていく感じがあって、その摩耗がこのまま進行していくのがすごく恐かった。
 会社のある街に来るのがイヤでイヤで仕方がなく、それでもバックレるわけにはいかない。踏ん張って会社に向かうために、最寄駅についたらイヤホンを耳につっこみ、爆音で歌を再生する。
 再生。すごい言葉だと思う。
 イキんだ出勤時を過ぎると、徒労感が訪れた。音楽が「薬」としてしか作用しない暮らし。ファックオフ。
 身体も危険を察知したのか、少しずつ鋭敏になりすぎた感覚が鈍麻していった。
 いろんなものがどんどん響かなくなっていく。年末にかけて、そんな寂しさが募っていった。その寂しさは、立体的で具体的だった。そうやって年を越した。
 だから今年は「ちゃんと感じよう」と思った。ちゃんと感じないと、ダメだ。
 ちゃんと感じようと思った頃、日本はもう冬のど真ん中にいた。
 冬が苦手だなと思っていたら、いつの間にかどんどん苦手になっている。この冬は楽しめるかもって思っても、結局うつむいて、考えすぎてため息をこらえて春の方角を見失う。
 おととしの冬は、家が火事になって活力を奮い立たせざるをえなくなった。
 去年の冬は、3月に地震が起きて、自分なんかに関心を振り払っている場合ではなくなった。
 冬はいつも大げさだ。大げさにしか、春にたどりつけない。
 


 入社して一年がたつ後輩と飲んだ。
 およそとんでもない忙しさが続いているし、顔色もよくないので多少気をつかって会話をつづけたのだが、本人は仕事を楽しめてるそうで安心した。
 楽しみつづけられたらいいと思う。
 一年ほど仕事をしていて、いろんな人が自分の名前を呼んでくれるようになった、それがうれしいのだと言う。
 すごくうらやましかった。



 耳の向こうの「池」は、1月の終わりにかけて日に日に拡大していくようだった。
 しがらみ。そんな言葉の意味が理解できるようになった。もう、このままここにいても楽しめない。
 秋口から使い込んだイヤホンは正月にぶっ壊れた。新たに買ったイヤホンで音楽を聞くが、どんどん意識がぷかぷかしていく。妙な覚醒感があるが、その心地は悪い。
 「前景系」のボーカルに神経と感覚が乗っ取られそうになる。電車に忘れ物をしそうになる。降りるべき駅を乗り過ごしそうになる。「ここにいる」ことが遠のいていく。
 だが、欲求を果たせない暮らしの充たされない体にとって、そうした声たちだけが「薬」だった。
 気が狂いそう。
 「池」を通って伝わってくる、歌手たちの声が優しすぎる。
 どうしてこんなに優しいのだろう。
 不安になる。冬はまだ長い。春はどっちだろう。春は。春は。春は。春は。



 午前中から夕方にかけてザ・ハイロウズの『月光陽光』を3回聞いたその日の晩、僕は、退社したい意向をボスに伝えた。