水道橋リマインデッド


かなりはしゃいでいたこの男、この後余興の激辛ピザで死にかける。


■友人の結婚3連ちゃんの五月。第二戦は中学サッカー部親友K。披露宴からの出席。


■12時に水道橋で待ち合わせしていたのだが、その日の朝まで飲みすぎて起きたら11時40分。一瞬‘バックレ’が頭をよぎったが猛ダッシュで会場へ。


■キャパのでかい披露宴だったけど予想以上に同窓生がいて驚いた。


■つきあっている相手が日本人でなく、ちょっとご両親との関係がめんどくさいことになっているというのは数年前誰かから聞いたが、去年半ば、やっと結婚にこぎつけたという話を新郎本人から聞いた。


■中学の頃から僕にさんざん目をかけてくれたお母さんも、受付で会うやいなや「未来ちゃん、火事の後大丈夫だった?」と涙目で心配してくれてなんだかこんな日に申し訳ない。
「お母さんは元気?大丈夫?」
「クソ元気です。孫とか見れなくてもあの人ぜんぜん大丈夫です!」


■人生で初めて披露宴でのスピーチを頼まれたが、これはバンドの余興とは違う別種の緊張。音楽以上にスピーチは一瞬ごとに流れていくし、‘構成’というものが成立しづらい。結局たどたどしすぎて自分でも何を言ってるんだかわからなくなった。


■ほとんどの同窓生や先輩が10〜15年ぶりだったのにまるで違和感がなく、披露宴から三次会に至るまで家族のような意気投合ぶりをずっと痛感しっぱなしだった。


■中学を卒業して15年も経てば、それなりにみんな意気がったり夢破れたりディスられたりしたに違いないけど、2010年の5月、奇跡的なまでにいい奴らの集団だった。
「最近何してるの?」「うん、ボランティアでガーナに学校建ててる」ってなんじゃそりゃ、である。回答の‘いい奴度’が尋常でない。


■こんな長い時間水道橋にいたのは何年振りだろう。


■水道橋は中学に近かった。そして中1から高3まで通った塾があったから、中学や高校・大学のあった場所よりも長い期間通った町だ。


■二次会のパーティーの最中、塾で一緒だったMから着信があった。Mから着信があったことなんて少なく見積もっても7年はなく、だけど水道橋だったので不思議と違和感がなかったが、かけ直してみれば「子供が誤って発信ボタンを押しちゃった、ごめん」とのこと。「いま水道橋なんだよ!すげーな、Mのガキ!超ヒキ強い!」「うそでしょ!すごーい!」


■1999年の冬、ただでさえ大学の受験で身も心もどん底だったけど、Mも僕も受験以上にそれぞれ付き合っている相手と恐ろしくややこしくて残酷な状況になっていて、毎日のように帰り道の秋葉原まで励ましあっていた。


■当時の僕はあまりにも幼稚で想像力が乏しく、受験直前、残酷な状況がさらに残酷になった結果、いつの間にか小さな塾で村八分みたいな状況になった。もう僕は、どうにでもなれという感じでシカトされても悪口言われても開き直っていたが、その時もMが姉のようにかばってくれた。


■久々に電話で話したMは4歳のお母さん。「今度遊びに来てよーダンナにも会ってよー」と言う後ろでは元気な男子のわめき声が聞こえた。子供の悪ふざけという偶然によって水道橋にいる僕にMから電話がかかってきたというのは、ごく個人的な現実の物語として相当刺激的なのだ。

ナショナル・ストーリー・プロジェクト ? (新潮文庫)

ナショナル・ストーリー・プロジェクト ? (新潮文庫)