遠い友達のための古い日記

 年末だしせっかく日記をつけているんだから、なにか総括のようなことを書きたいとおもうがなにも浮かんでこない。
 考えるのは向こう一週間ぐらいの諸々の予定で、その一週間は頭の中で連続しているけど一週間先は来年だ。今年についてのまとめようなどない。
 12月30日に声をかけてもらってイベントで小さなライブをすることになった。名もないバンドを呼んでくれるなんて(しかもノルマがない!)バカみたいに有り難いことだ。
 いまおもえば10年前など、バンドをやるということに不必要な打算や力みばかりがあって楽しみも面白みもほとんどなかった。だけど今はどうだ。とにかくメンバーと人前で演奏したくてしょうがない。それは演奏についての自信ということではまったくなくて、歌をうたえば誰とでも友達になれる/生活に欠けている本質のようなものを取り戻せるような気がするからで、ほとんど動物的に歌うということを必要としている。
 働きながら音楽をやるというのは相当にめんどくさいが、演奏させてもらう機会に恵まれて友人たちと会えるとなるとバンドをやっていて良かったとつくづくおもう。
 そういえばこないだ、学生時代からこれまで書きためたありとあらゆるものを詰め込んだUSBメモリを無くした。歌詞カードもナレーション原稿も文章も写真もほぼすべてだ。バックアップはない。要するに生産物に関する貯蓄はゼロということになる。
 めんどくせーなーとおもう。だけど「めんどくさい」と「楽しい」や「おもしろい」はかなり近い場所にあるということも確信している。
 どんどん誰かが亡くなった今年。これからも生きてその人たちの不在を補えるとはおもわないけれど、どんどんVTRを作ろう。どんどん歌を作ろう。「質」の前にまずは「量」を指向しよう。脳や体がせいぜい壊れていない現在、めんどくさい方を、それはきっと楽しい方を選ばない手はない。楽しみたければ率先してめんどくさいことに向かわなければダメなのだ。めんどくさいことを避けて得られる楽しいことなど、たかが知れているのだ。


 ケータイでこの日記を読むと、前の記事へさかのぼる際、「古い日記」というボタンを押す必要がある。アーカイブの中で日記はどんどん古くなっていき、一方で時が経つごとにほとんどの友達が会いたくても会えないまま、どんどん遠くにいくような気がしてならない。
 古い日記にある未熟さや恥ずかしさに頭を抱えたり、会えない遠い存在を想像したり、あまりにめんどくさいそんな所業に固執することにばかり楽しさの萌芽を期待してしまう。
 めんどくさい男もめんどくさい生活のまま、あと三曲うたえば来年だ。