さようなら、ありがとうございました

■昨年末から意識混濁の状態で入院していた中学時代の恩師・W先生が、24日月曜、亡くなった。
所属していたサッカー部の顧問で、運動神経0の不甲斐ない僕を、時にはけなし、鼓舞し、あきらめずに、指導してくれた。


■メールで訃報を知って激しく脱力。飲み過ぎたように全身に力が入らない。


■急きょ、平日休みがとれたので期日前投票へ。

■そして八さんと三軒茶屋のスタジオでデモ音源作り。その後、深夜から黒ちゃんに来てもらい、レコーディングについての相談。


■出向先の仮眠室で眠っていたら、久方ぶりに幽体離脱に襲われる。空にあがっていくのを拒んだら、ひっくり返って宙返りしておもいっきり壁にぶちあたって落下して目が覚めた。目覚めると当たり前だが普通に寝ている。
もはや幽体離脱に恐怖はなくなった。ただ、遭った日の翌日は心拍数が始終あがっているので落ち着かない。


■29日、W先生の葬儀に参列。
葬儀の最中、会場ではショパンの楽曲が流れていた。合間に司会者らしき男の声で、演奏者名としてW先生のお子さんの名前がアナウンスされる。どうやらW先生のお子さんが発表会か何かで演奏したのを録音したものらしい。


■あれだけ壮健だったW先生が倒れた理由について、半端な情報や噂をいろいろと聞いていたが、前校長の弔辞や喪主である奥様のあいさつを聞いて、その理由を具体的に垣間見た気がした。


■ついに卒業後、一回も会う機会のないまま最期のお別れだ。一度でいいから飲みたかった。一緒にタバコを吸いたかった。
出棺の時、流れていたのは『別れの曲』だった。


■悲しみは尽きないが、葬儀の場で大好きな先輩や後輩と10年以上ぶりに会えたりして感激した。皮肉にもW先生が亡くなったことで、部活動というもののありがたみを強く感じた。


■しかし、遺体を亡くなってから火葬まで保存する技術はなんとか進歩してくれないものか。月曜に亡くなった先生の遺体の表情は激しく損傷しており、献花の際、ほんとに苦しかった。


■今日は投開票だ。週明けから会社に戻る。