5年後も春はぼろぼろ


読みたくねえ〜\(゜ロ\)(/ロ゜)/


■入院していた頃、「最低でも5年間は投薬をつづけること」と医者に言われた。それを聞いたときは「なげえー」という絶望しかなかったが、なんだかんだで退院してからもう5年が経ったのだ。


■「治ったか?」と聞かれれば「治ってない」と答える。それはイヤガラセでもリップサービスでも無くて、ほんとにわからないのだ。腫瘍や傷が無くなったわけではない。「治った」と医者に明言されたこともない。だから、‘治った’という保証もない。


■知人の家族が精神に変調を来たしてしまい相談に乗っている。あまりに困っているので、初めて仕事関係の人に自分の病歴を打ち明けた。家族会議に参加し様々な質問に答える。誰かが精神科に入院するということは、患者と家族のプライドの問題であって、それが全てだとさえおもう。
ご家族はことあるごとに悩み、そして泣く。あの頃僕の周りにいた人もこうやってたっくさん泣いたんだろうなぁ〜……。


■退院して5年。病歴を隠して働いて4年目の春である。


■社長の友人のホステスさんに薦められて梶井基次郎の短編集をチラチラ読んでいるが、‘春になるとおかしな人が増える’という俗説はあながち間違っていない気がする。



■駆け足で一泊だけの大阪出張。もちろんマスク着用。前乗りした夜にたこ焼きを食べただけで大阪らしいことは何一つ味わえなかった。


■大阪から代々木のスタジオへ直行。久々にメンバー全員揃うもマジック起きず。


■この春はちょっと残酷すぎる。清志郎が亡くなりメンバーが一人バンドから抜けた。
清志郎のことを思い浮かべながら『不明なアーティスト』という曲を、歌詞だけ大阪へ向かう新幹線で書いていたけど‘今後歌を作る動機’を完全に見失う。




■今後バンドを続けるべきなのだろうか。抜けてしまったメンバーがいなくなって、それでもバンドを続けて、ほんとに音楽は楽しいままであってくれるだろうか。仕事でかかる負荷と同じ負荷がバンドによってかけられた時、また僕は壊れてしまわないだろうか。


■新橋・会社・家の三角形を結ぶような日々がつづくダ・ベアー。


■東京出身の自分にとって原風景というのがどういうものかわからないが、ただ駅のホームで黄緑と水色のパネルが並んでいると心が落ち着く。

■30日は【京都S】のオンエア・ダ・ベアー。スタッフルームがすごいウケててビビる。
枠が変わって初めてのオンエア立ち会いだったが、ここまでリアクションがいいものだろうか。


■オンエアの後、雨上がりの浅草で清志郎追悼集会。

■3月に終わったレギュラーのスタッフ同窓会みたいになったが、三件目のカラオケから本格的な追悼が始まった。だけど一曲目から『スローバラード』というOさんもすごくどうかとおもう…。

■もちろん酒は全員ずっとジンライムカラオケ館ジンライムは、意外にも薄くって旨いのだった。

■カラオケが終わって明け方、じきに退社する後輩と雷門前のデニーズへ。
実は会社を辞めたくないという話を聞く。いっぱいいっぱいになって辞表を出してしまいました、と。


■テンパって辞表提出ってのはすごいな。ぶっ飛びすぎダ・ベアー。
うなづいて話を聞きながら、でもこいつが辞めると言いだしてすぐ、社長があわてて派遣会社に電話して新人を採用したことを考える。
たとえばテンパって辞表提出ってのをソニーやイトチューでやったらどうなるんだろう?
まあソニーやイトチューじゃないから多少口はきいてやれるけれども。


■どれもこれも春のせいだ。
桜の樹の下に埋まっているのは精神病者の家族の涙と、音楽に対する情熱の懐疑と、テンパって辞表だしてしまうほどの倒錯と恥だ。


■何がきっかけかはわからないけれど、ここ数日でバンドを続けていこうとぼんやりおもった。
今後メンバーがどうなるかはわからないけれど、やっぱり曲が出来た夜、それを誰かに披露した夜が自分の人生のサビだ。
かけがえのないメンバーを失ってもそれでも残ったメンバー繋げていく。そんな歌を作ろう。アマチュアのくせに、ヘタクソのくせに、投げ出さずに続けよう。


■ちゃんと投げ出さずに容量オーバーぎりぎりのところまで仕事もバンドもやり切って、そうすればもしかして‘治った’とでも言えるんじゃないか。プロでもない人間の、傲慢なプライドの問題だとしても。