いろいろ見えるから、いろいろ見えない

■鹿児島に着いたのは3日の昼。


■さすがにGW中の羽田はゲートがものすごい行列で20分はかかった。オカンに絶対マスクをしてけと押しつけられるが羽田にマスクしてる人はほとんどいない。


■編集でほとんどニュースを見ていなかったが、インフルエンザって不謹慎かもしれないけど‘よくある病気’ではないのか。今度のは何がヤバいのか。いまいちわからないだけに恐い。

■ゲートに並んでいるとき、堀江からメールがあった。清志郎が亡くなったことについて。


■飛行機で寝てしまえばあっという間に鹿児島空港。九州はすべての風景が一言で言ってしまえばダイナミック。青山真治が映画にしてきたのは北九州だが、南九州も外様からすれば似て見える。ただちょっと愛想に欠けるな。


■向こう10日間宿泊するホテルは温泉付きで結婚式を毎日のようにやっている。撮影を終えて戻ると地元の若い人たちが座敷で延々宴をやっていたりする。


■部屋は広く部屋代も安いがネット環境は悪い。一度始めたこの日記も、頭の整理をする上ではいつの間にか必要になっている。


■過疎が進む街だからこそ取材をしているのだが、徒歩圏内にレンタルショップがありそこで揃えられるだけの清志郎・RC音源を揃える。
歌声を聞けば、より一層死んだという事実が現実味を失っていく。東京に戻ればいろいろなメディアにふれ、また生々しい悲しみに暮れるのだろうか。


清志郎が亡くなった深夜、あまりにも悲痛なメールを社長に送ってしまったため心配して電話をよこしてくれる。CHARのライブに行ったら清志郎との共作『かくれんぼ』を演奏したそう。
ユニコーンのライブに行った利享からは、客電がついた後『スローバラード』が流れたことをメールで教えてもらった。
ロボさんが取材しているあるミュージシャンは清志郎のレパートリーを翌日のライブで何曲かやったらしく、ロボさんカメラを回しながら泣いたらしい。早くオンエアが見たいなー。

■結局京都の編集は中途でIさんにふってしまった。ブツブツ文句を言われ続けたけど、出来上がりのナレーション原稿をファックスで見せてもらいちょっと泣きそうになった。僕の使いたかった素材が全て反映されてVTRが化けていた。情けなくて、嬉しい。


■取材をしながらいろいろ見えてくるたび、いろいろ見えなくなる。


なっちゃんからこの日記についてのメールをもらう。メール年齢が異常に若い。絵文字いっぱいでキャピキャピしてる。大さんからは東京に出た虹の写メールをもらう。


清志郎が亡くなって以後、短い間にいろんな絆を感じる。


■感傷にばかり浸ってられない。後半戦、丁寧に、丁寧に、追い込みをかけて取材をしなければいけない。


大さんから送られてきた写真フロム東京