ミライちゃんとお別れ

■京都滞在期間中、僕は取材対象者に「ミライちゃん」と呼ばれていた。
子供の頃なら泣いて拒んだであろうこの呼び名も、関東人が一番嫌われかねない京都の地で呼ばれると恥ずかしいけど嬉しくてたまらなかった。



眺めない・にらまない・見つめる。


■一軒のスーパーを撮影していたのだが、ある方は「このまま京都に住んでしまえばええのに」と言った。もちろん男性だ。


■取材していたスーパーはタケノコの販売がとても有名で、全国各地からタケノコを買いに多くの客がつどう。取材最後のほう、スーパーの駐車場で地方からくる車のナンバープレートをずっと狙っていた。浜松ナンバーの車を見つけて持ち主を待ち伏せした。持ち主が戻って来て話を聞けば、その方はタケノコではなくハムを買いに来たのだという。僕は10日間取材をしたが、ハムの画は一枚も撮っていない。
所詮こんなもんだ。


■編集で浜松ナンバーをタケノコのくだりに入れ込むことも出来る。
いろんなおもいが錯綜する。この仕事向いてねーなー、とおもう。


■別れ際、青果担当チームがラッピングしたラッキーストライクをカートンでくれた。喉を壊さない程度に大事に吸います。


■スーパーの天才は無理やり僕の三脚やカメラを背負って京都駅まで、しかも新幹線の中まで送って来てくれた。
必死で泣くのをこらえていたが、気がつけば向こうが泣いていた。


■またしても‘空気のような異物’になどなれず、お互いに深入りしすぎて僕は東京へ帰る。オンエアが終わっても彼や彼らは「ミライちゃん」と呼んでくれるだろうか。