野良犬顕在

■NHKハイビジョン特集『その路地を右へ〜森山大道・東京を撮る』を観る。
健在だなあ。やっぱウロウロと年柄年中歩いてるから元気なのかなあ。
いまだに森山大道が新宿を歩き、撮るとあのように映り、番組自体がその磁場にもろに引きずられていくテイストになっていたことがうれしく、そして激しく感動する。
あまりにも畏れ多いが僕が東京という都市について高校を卒業してからずっと感じていた、‘大嫌いだけど、でもやっぱし好き’みたいな気持とはまさに、森山大道が言うところの「忌々しくて禍々しくて愛おしい街」に対する憎悪と慕情だった。
いまでこそ森山大道の写真というのは広告写真としても頻繁に見かけるが、すべてが広告化/記号化されていく現在の中で‘もっとも広告的でないランドスケープ’、そのような目線をなくさないのが森山大道であるし、―――こんなこと考えたくもないが――彼がいつか死ぬということは、東京の一断面が死ぬのと同義である。あの唯一無二の視界にいつまで触れることができるのだろうか。


森山大道は健在だったが、最近テレビ露出の少ないアラーキーがちょっと心配。


武田徹『隔離という病い 近代日本の医療空間』読了。
著者によれば、ハンセン病史をあつかったこの著作も‘都市’についての思考から派生したのだという。


(引用)
病者のいなくなった日本を理想のユートピアとみなす視点がまずあり、療養所の開設と運営はそうしたユートピアを実現する手段として位置づけられている。しかし同時にまた療養所そのものもユートピアとみなされてもいる。たとえば病者が集って相思相愛で生きる愛の空間だとして――。この二重性において光田たちは療養所に患者を送り込むことに一切の躊躇を無くす。隔離は「良きこと」なのだ。そして、人を救うよき目的に奉仕する者としてみずからが生きがいの実感をえることで報われ、救われつつ、勤勉に仕事に取り組む。その仕事が国家としての日本の進む道と方向を一していた地点に牧人としての「光田たち」が成立していた。(p187)


ハンセン病についての系譜はもとより、「国家」「牧人」「生きがい論」「ユートピア」をつたいながら「仁義」を経由して「都市」に回帰する。
「仁義」という、まさにメンタルの概念を通過していなければこの本を現在読者に読ませる意義などなかったかもしれないし、「都市」に回帰するのもやはり正しい。正しいというと偉そうだが、読者としてジャーナリストである著者の、そんな正義がうれしい。読んでよかったと慢心のおもいで感じられるようなテーマ内容ではないが、やはりこの本を読んだことで‘放送されうる世界’というのが狭窄だとあらためて感じる。
文庫版あとがきでは、エイズホスピスを実際におとずれた著者の心象と訪れる前の推測との誤差について書かれており、そこで著者は奥まったところにあるホスピスの木々について「患者の眼を休め、心を癒すだろう。四季の変化を告げる自然の表情は、それを見ている患者に生きている喜びを感じさせるだろう(p260)」と記しているが、この本の中ではそんな記述も決してそらぞらしく響かない。むしろ隔離という現象をめぐる照射される機会を逸した史実が、‘都市’に、そして‘個人の感覚’に回帰したことをたしかに実証している。
いつになく熱い香山リカの解説も素敵だった。


■読み終わって本棚を漁っていると、学生の頃に買った『広告批評 特集「ドキュメンタリー」』がでてきた!!!!
本棚のかなり奥の階層からでてきたが、就職して以降、この本をまったく読み直していなかったのだと考えると愚かしい。
特集記事の人選に若干の時差は感じるが、それでも森達也是枝裕和を筆頭に、亡くなった佐藤真・原一男まで、巨人たちのインタビューがズラリ!!!!
もっとも時差を感じるのは『新しい神様』の土屋監督のインタビューも載っているのだが、ドキュメンタリーの主客である雨宮処凛のあの頃と今の違いだ。


■詳しい事情は知らないけど、やっぱり『広告批評』がなくなってしまうっていうのは寂しいなあ。
たとえば社長と話してても、あの雑誌は広告業界のヘンな権力構造を知らない若者が表層だけを見て「広告っていいなー」っておもえる雑誌だし、それで十分にいいんだとおもう。
おっさんみたいな言い方でヤだが、働く前に『広告批評』に触れられない若者ってのはかわいそうだ。
・・・おっさんみてえだな。


■‘都市’って文字に触れまくったせいか、石原慎太郎とテレビ番組で喧嘩する夢を見る。たけしが司会でニヤニヤ笑ってた。


■今朝は新宿へ行った。半分仕事。


シラっちゃけるなあ、携帯だと。


■やはり森山大道のあんな番組を見たんじゃあ、いやがおうにもカメラが欲しくなる。
結局、自分がカメラを持たなくなったのは時代がフィルムからデジタルへ移行した大学に入ったあたりだが、まったく及び腰にならない森山さんを見たんじゃ買わずにいられない衝動がつきあげてくる。
給料日だし危なかったけど、ヨドバシカメラRICOHのカタログをもらって我慢。


■しかし給料日にタワレコへ行く習慣はいやはやどうにも改善できそうにない。
欲しさを禁じえず今日発売のスチャダラの新譜(『11』)は購入。
そしてここ最近頭の中で鳴りまくっている電気グルーヴ『虹』を物色すると・・・なんと8センチのシングルであった!!!!
この春のテーマ曲になりそうな予感。


■丁寧に生きたいのだ。だからこのノートをつけはじめたんだし。それはもちろん金銭感覚も然り。
会社近くの銀行に行って既存の口座に定期預金を増設。
いま持っているキャッシュカードが割れていたり、ハンコを変えなきゃいけなかったりいろいろあったんだが、それにしてもマジかよ!ってぐらいの量の住所・氏名・電話番号書きをさせられる。何回書いたかな。10回は書いたんじゃないかな。行員のお姉さんも「すいませんねぇ」って感じ。
勢いあまって何枚目かの書類で、電話番号の欄に郵便番号を書いてしまった。


森山大道という野良犬もこんなせせこましいことをするのだろうか。
・・・イヤだ、ぜったいにみたくない!!!


目つき・顔の模様・洋服、すべてが野良犬感ゼロの‘犬’。


犬の記憶終章

犬の記憶終章


「隔離」という病い―近代日本の医療空間 (中公文庫)

「隔離」という病い―近代日本の医療空間 (中公文庫)


虹